屋島の観光道路を上り詰めた先に大駐車場があり、そこから入った先に屋島寺東大門がある。
朱塗りの大門は何か京都のお宮のような感じでもある。
東大門を入った直ぐの場所に石塔と鐘楼が建っている。
境内の西に下った場所に山門がある。歩き遍路は下から歩いてきて、この山門に達する。
山門は仁王門になっている。
高松市一宮町にある一宮寺からは高松市街地を通り抜けて次の霊場屋島寺に向かう。この寺は名前の通り、源平合戦で有名な屋島の戦いが行われた島の山上にある。以前米国在住の彫刻家イサムノグチのアトリエのあった庵治町を訪問した折、屋島はどの辺りかと注意深く運転して行ったが、どこが島なのか分からずに結局そのまま帰ってしまったが、今日改めて屋島寺にやってきて、それは自分の全くのトンチンカンな思い込みであったことが理解できた。
屋島は今は陸地と繋がっているが、今日の今日まで、いずれ小さな島で、厳島神社のある安芸の宮島よりは小さなもので、瀬戸内に浮かぶ数多ある小島の一つ程度にしか想像していなかった。処がそれは全くの間違いで、屋島は島という名前は付いてはいるが、今は立派な陸地の一部で、これが嘗ては陸地と隔たった島だったとはとても想像できない程の大きなものだった。江戸時代の干拓事業で島と陸地の間の海が埋め立てられて、今は一続きの陸地になっているが、そこにはJRの線路もあれば、琴電の駅も出来ている。
徳島方面に向かう国道を左折して琴電屋島駅の前を通り過ぎ、嘗ての島の中の自動車道路を屋島寺に向かう。結構な原生林の森を切り開いて造られた観光道路だ。かなりの急な坂を上っていくが、途中右手の崖下に源平合戦古戦場跡との標識が見え、車のスピードを落として走らせると、屋島の反対側にある半島との間の水打ち際が大きく平地になっていて、そこがどうも古戦場のようだ。観光は後にして、先ずは屋島寺に向かうことにした。
観光道路を上り詰めた先が大きな駐車場になっていて、屋島寺はこの駐車場の奥にある。標高約300m程の高台にあり、この周辺一帯は、お寺も含め屋島観光の目玉で、巡礼以外の一般観光客も車をここに止めて、瀬戸内を眺めたり、近くの水族館へ足を延ばしているようだ。駐車場からは山門からではなく、朱塗りの東門から境内に入り、入って直ぐの場所に鐘楼があり、その先の正面に大師堂、その左手に本堂、その横に宝物館がある。台地の上に立っている一連の御堂で、解放的だ。
先ずは鐘楼で重文の梵鐘を撞き、更に順番通りに重文の本堂と大師堂にお参りし、少し時間をかけて駆け足で宝物館を見ることにした。この宝物館の中から、本堂に安置してある重文の千手観音座像を拝観できるとのことである。屋島という平家凋落のシンボルのような地名。栄枯盛衰を絵に画いたような地に建つ屋島寺。霊場全体がそんな過去の忌まわしいイメージを内包しているように思えた。
山門から登った正面に本堂がある。
これも又重文の本堂だ。
その右手に大師堂、他がある。
大師堂だ。
大師堂にお参りする白人外人の男女二人の僧侶。