ちゃおチャオブログ

日々の連続

四国霊場最後の巡礼(56)トリの霊場、長尾寺へ。

第八十七番、トリの霊場長尾寺にやってきた。

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この寺は山門の中に鐘が下がっている。

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山門の前には、元寇の役戦没者を慰霊する経幢が左右2基建っている。

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重文の経幢(きょうどう)だ。

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大師堂。

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 四国霊場は芸能界とは違うので、トリとか大トリのような不謹慎な言葉を使うべきではないとは思っているが、自分流には何故か、最後の一つ手前の霊場、トリの霊場と言ってみたい。もう後二つ、この八十八ケ所巡りもいよいよ最終に近づいてきた。NHK紅白歌合戦で言えば、トリの大トリ、今年も間も無く幕を閉じていく。そんな達成感とも間もなく終わる感傷感とも言えなくもない気持ちで、平賀源内の墓所のある自性院を出て、同じさぬき市内にある第八十七番長尾寺に向かった。

途中町中で源内記念館の前を通るが、今日は時間がない。志度浦が後方に遠ざかっていく。志度は死度に通じる。志度寺は、この名前になる以前は「死度道場」と言われていた。死度、即ち補陀落だ。伊勢神宮のある場所は三重の度会郡(渡会)、般若心経の中の「度一切苦厄」の「度」だ。彼岸に渡る意である。この浦がいつ頃から補陀落渡海の伝承が伝えられてきたのかは、自分には分からない。四国で有名な所は、去年巡礼した高知の金剛福寺だ。現実に僧侶がたらい舟に乗って、生き仏になって補陀落を目指した。この浦にもそうした風習があったかどうかは知らないが、この「死度道場」の名前からすると、想像に難くない。人は死して苦厄から逃れ、波羅蜜へ至るのか・・。

志度、讃岐の古い街並みを通り抜け、次の霊場長尾寺は周囲を住宅に囲まれた長尾の町中にある。この寺は鎌倉で義経と別れた静御前が、母の磯禅師と一緒にやって来て、得度した寺と知られている。境内のどこかに静御前の剃髪塚がある筈だが、時間は既に4時になっていて、最後の霊場大窪寺は山中にあり、ここからは30分以上は見ておかなければならない。今日中に巡礼を終わらせる為には、ここでゆっくりは出来ない。結局塚を探すことはせず、そのまま本堂、大師堂にお参りし、大窪寺に向かうことにした。

駐車場は境内の外にあり、市道に面して山門が建っている。ここの山門、仁王門は珍しい作りで、門の間に鐘が吊り下げられていて、鐘楼を兼ねている。門の前には「経幢」(きょうどう)と言って、元寇の役で亡くなった御霊を弔う供養塔で、左右に2基あるが、これ等は重文に指定されている。門を入ると広い境内になっていて、廃仏毀釈の頃にはここに小学校が建てられたり、警察署もあったとのことである。その広い境内の正面に本堂、右に大師堂、左に納経所があり、そそくさとお経を上げて、納経本に印をもらった。この納経所の奥には本坊膳所と言って、寺の関係者の作る料理が有名で、それを目当ての参詣者も多いとのことである。いずれにしても今日は時間もなく、住職に大窪寺までの凡その時間を聞いて、寺を後にした。

 

境内は広々としている。正面が本堂、右奥が大師堂。

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凝った造りの大師堂。

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本堂。右に大師堂。

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本堂にお参りする観光客らしき人。

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左が納経所。この奥に膳所がある。

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