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日々の連続

四国霊場最後の巡礼(54)第八十六番志度寺に参拝。

牟礼の八栗寺から次にやってきたのは旧志度町にある志度寺。石門の先に五重塔と山門が見える。

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  • 五重塔四国霊場の中で4ケ寺しかないが、その内の一つだ。

    f:id:commodore:20210122223155j:plain重文の山門を潜って志度寺境内に入る。仁王像は運慶作と言われている。

    f:id:commodore:20210122223306j:plain境内の中は樹木が多く、林の向こうに五重塔が見えている。

    f:id:commodore:20210122223417j:plain本堂は樹木に囲まれている。

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    八栗ケーブルを降り、再度峻嶮な五剣山を仰ぎ見、次の霊場志度寺に向かう。再び国道に出て、徳島方面に向け南下する。この辺りの土地、東さぬきは徳島に接している。四国は高知は別にしても、町同士が接していて、特に瀬戸内に面する愛媛、香川などは地方都市の中では人口密集地だ。神奈川の相模原市のような大きな市域と比べると、愛媛、香川、徳島など瀬戸内に面する地域では10個位の小さな市町村が纏めて入る位に隣り合っている。

  • 現に国道も高松から徳島までは80キロもなく、静岡県でいえば、東の熱海から西の端浜松までの距離約150キロの半分程度だ。これから向かう志度も、江戸時代から続く古い町だが、今から10年ほど前の平成の大合併で、周辺町村と合併し、今はさぬき市となっている。天下のおおみや市もそうだが、気に食わないひらがな市になっている。漢字の難しいさぬきは別としても、大宮などをどうしてひらがな市にするのか、決めた市長の頭がどうかしているとしか思えない。

八栗寺のある庵治町から隣のさぬき市志度までは国道を走って10分程度だ。国道を左に折れ、志度の町中に入っていくと、正面に海が見える。志度湾だ。お寺はこの湾の防波堤に沿って、右に少し進んだ先にある。今は海から少し離れた場所にあるが、埋め立てられて陸地が海に押し出された結果だろう。この寺は海との係わりが深く、「補陀落山志度寺」がその名を表している。補陀落渡海の補陀落で、この海辺は極楽浄土に続いているとの信仰が伝えられた。ここには海女の墓もあり、能楽「海人」の舞台として伝えられ、毎年7月16日には海士の命日として、「志度寺の十六度市」が開催されるとのことである。

志度寺の駐車場から石門を通ると正面に重文の山門があり、その左手に五重塔が見える。五重塔四国霊場では4ケ寺にあり、高知の竹林寺、香川の本山寺善通寺、それにここ志度寺だ。他の3ケ寺はどこも江戸時代以前の古いものだが、ここ志度寺の塔は戦後に建立されたもので、比較的新しい。しかし、遠目にしてもお寺の中に五重塔があるのは、重々しい。新しいか古いかは別にしても、この寺の歴史を感じさせる。実際この寺の創建は推古時代に遡り、四国霊場の中でも1-2を争うほど古い歴史を持っている。その後も大師が巡錫にやってくる以前にも、藤原不比等やその息子の房前と関係していて、能楽「海人」によれば、房前は不比等と海女との間に生まれた子供となっている。房前は藤原4兄弟の次男で、藤原北家の祖だ。

重文の山門を潜って境内に入ると、深々した林の中に五重塔が頭を出していて、その林を抜けた先にこれまた重文の本堂がある。江戸時代初期、高松藩松平家が建立したものだ。如何にも古めかしい建物だ。境内は全体が植物園のような林の中にあり、本堂の並びに大師堂、焔魔堂、五重塔、曲水庭園などが木陰に隠れるように建っている。その端の方に書院があって、納経所はその中にあり、そのガラス窓越しに枯山水の庭園、無染庭が眺められた。順繰りに巡拝し、さて、この寺の塔頭、自性院を見に行こう。

 

重文の本堂だ。

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大師堂も樹木の中だ。

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大師堂。

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林の中に焔魔堂も見える。

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五重塔は戦後の1970年代の造営だ。

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