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日々の連続

四国霊場最後の巡礼(56)最後の霊場、大窪寺へ。八十八ケ所結願へ。

四国霊場、最後のお寺大窪寺讃岐山脈の山中にある。

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  • 閉門15分前にぎりぎりセーフで到着した。

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    • 西門、山門から入って、最初の建物が大師堂。

      f:id:commodore:20210125221258j:plain左が本堂だ。

      f:id:commodore:20210125221340j:plain本堂を下った正面に仁王門がある。

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    • いよいよ最後の霊場大窪寺に向かった。若々しい長尾寺住職(いや副住職かもしれないが)の話では「車で30分も見て置けば十分でしょう」、との話だった。時間は既に4時を回っているが、途中の道路を間違ったり、事故や道路工事さえ無ければ、閉門の5時までには十分間に合うだろう。さぬき市と言っても、以前の町村が合併してできた市、市とは言っても市域は狭く、直ぐにも市街地を出て、山間の道路になる。これから途中渋滞がなければ、予定通り到着できるだろう。

山間部の、余り対向車もない県道を上って行く。最後の霊場は香川と徳島を隔てる讃岐山脈の中の一座、標高782mの矢筈山中腹にあり、人里離れた山の中にある。山中の道路に1か所10数件の集落があるだけで、他には人家らしきものはない。歩き遍路だったら、淋しい限りだろう。そう思って車を走らせていると、前方に一人、白装束で遍路笠を被ったお遍路が坂道を登っている。今の時間、車なら閉門に間に合うが、歩きだと無理だろう。

車を止めて、「乗って行きませんか?」と言葉を掛けたら、陽に焼けて、且つ柔和な顔立ちの初老の男性が、「多きに。でも大丈夫です。今日はお寺の前に泊まって、明日行きますから。どうもありがとう。」と、2回もありがとうと頭を下げた。そうか、彼に取っては予定の行動で、他人に甘えて車になど乗ったら、折角ここまで通して来た「歩き」が水の泡になる。自分としても、どうも失礼な言葉掛けをしてしまった。麓の町長尾寺からは約15キロ、第一番霊山寺からは約1400キロ、秋の陽の早い夕方、日の暮れかかる山道を、一歩一歩登っている。最後まで歩きを貫徹し、間も無く結願だとの思いを噛みしめて。ツアーやレンタカーで観光気分で回っている自分などよりは、数百倍、数千倍も強い思いで、最後の霊場に向かっているに違いない。

四国霊場第八十八番大窪寺には閉門の15分前に滑り込みセーフで到着した。何かほっとした。間に合って良かった。今日の内に満願、いや八十八ケ所霊場巡りでは結願というが、それが今日のこの時間に達成できて、肩の荷が下りたというか、密かな満足感というか、曲がりなりにもやり遂げたといった、複雑な達成感。一つの目標を立て、その目標が実現した喜び。大学受験の志望校に合格した喜びとも違う。八十八ケ所を巡礼して、何かが得られたという即物的なものでもない。浅い人間が精神を言うのもおこがましいが、人の書いた書物など読むと、じわっと来ると。そう「良かった」と。

閉門間近の山中の寺は人影もなく、鐘の音もどことなく淋し気に、山中に吸い込まれて行った。大師堂、本堂とお参りし、本来は金剛杖を奉納すべきところ、殆ど時間もなく納経帳に最後の御朱印をもらい、漸く3分前、寺を後にした。寺の前には宿坊らしき民家が2軒ほどあったが、先刻の歩き遍路の姿は見えなかった。まだ途中のどこかを歩いているのかも知れない。どんな経歴の持ち主で、どんな切っ掛けで歩きを始めたか・・。自分には計り知れない精神力があるに違いない。暗くなりかけた山道を、事故を起こさないように気を付けて運転し、今晩の宿泊、丸亀駅前のアパホテルに向けて坂を下って行った。

 

  • 正面が本堂。

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    • 本堂前の五大明王石像。後ろが納経所。

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      天然記念物の大銀杏。

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      結願寺に相応しい大師像。

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        • 恵果阿闍梨から賜った3国錫杖。

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