ちゃおチャオブログ

日々の連続

四国霊場最後の巡礼(51)第八十五番五剣山観自在院八栗寺に参拝。

八栗寺境内に入って直ぐの場所に多宝塔がある。

f:id:commodore:20210120223922j:plain

正面には歓喜天を祀る聖天堂が建っている。

f:id:commodore:20210120224008j:plain

その右手には本堂(左の建物が聖天堂)。

f:id:commodore:20210120224101j:plain

本堂の並びには大師堂がある。

f:id:commodore:20210120224142j:plain

横から見た大師堂。

f:id:commodore:20210120224229j:plain


八栗ケーブル山上駅から歩いて4-5分、林の中を進んだ先に山門があり、「五剣山」の山号額が掛けられていた。今まで自分はこの山は「八剣山」とばかり思いこんでいて、実際、ここへ来るまで勘違いをしたままだった。それはどうも、この寺の名前「八栗寺」と居酒屋チェーン店「八剣伝」を一緒くたに混同し、この寺の山が「八剣山」と思い込んでいたのだ。確かに先刻屋島側からこの山を眺めた時、山の頂は8つもない、4つしか見えない、と気付いてはいたが、多分それは屋島サイドからでは見えない場所に他の峰は隠れているのかと思っていた。

寺伝によれば、弘法大師がこの山にやってきて、求聞持法を修めた頃は、峰は5つあったが、その後今から300年程前の江戸時代の宝永年間に発生した大地震で、峰の一つが崩落し、今は五剣山ではなく、四剣山になっているとのことである。この時の地震南海トラフのプレート型地震で、日本最大級のものと言われ、富士山も噴火し、その痕は宝永火山として現在も見ることができる。屋島寺の外からこの山を見た時、峰が4つしか見えなかったのは正しかったのだ。「八栗寺」の名前は山とは関係なく、大師が唐へ行く直前この寺にやって来て、焼き栗8個を埋めたのが、帰朝後もう一度ここへやって来た時、焼いた栗が見事な栗の木に成長していて、それでこの寺の以前の名前「八国寺」から「八栗寺」に変更したとのことである。

さて山中の寺。山門の先には大きな多宝塔が見える。最近できたようで、まだ新しい。去年徳島の日和佐の薬王寺で見た多宝塔と同じくらいの大きさだ。その多宝塔の先の正面に歓喜天を祀る聖天堂がある。聖天様、即ち歓喜天仏、何か色めかしいお寺だが、この御堂がここに建立されたのは比較的新しく、350年程前のことだ。この聖天堂の右横に本堂がある。ここのご本尊は院号にある通り、聖観自在菩薩。大師が彫ったとのことである。本堂の石段の横に鐘楼があり、一つ撞く。更にその並び、多宝塔の方へ戻る形になるが、そこに大師堂が建っている。本堂を背に正面を見ると、眼下に庵治の街並み、更にその前方に屋島の卓状台地が見える。その境内の際まで行くと、崖上に「お迎え大師」が座している。ここが本来の参詣道で、巡礼者は下から登ってきて、ここで大師様に迎えられ、本堂に向かったのだ。本堂の後ろには五剣山の峻嶮が圧し掛かっているようだった。

 

本堂の後ろ側には五剣山が迫ってきている。

f:id:commodore:20210120224359j:plain

本来の参詣道、境内の端にお迎え大師が座している。正面の山が屋島

f:id:commodore:20210120224503j:plain

眼下の庵治、牟礼の町並み。

f:id:commodore:20210120224548j:plain

神仏習合の名残をとどめる鳥居。この正面が本堂だ。

f:id:commodore:20210120224634j:plain

八剣山ではなく、五剣山。参道の両側には昔の宿坊が何軒かあるが、皆廃業していた。

f:id:commodore:20210120224720j:plain