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日々の連続

四国霊場最後の巡礼(31)第七十七番霊場道隆寺に参拝。

道隆寺本堂。両側に観音像のお出迎え。

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大師堂も同様だ。境内に一体何体の観音像があるのだろう・・。

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ここは五百羅漢ではなく、五百観音寺だ。

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十三輪塔と大師像。

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海に面した多度津町にある第七十七番霊場道隆寺。嘗てこの地を治めていた和気道隆の遺徳を顕彰するため、その子息が弘法大師にお願いし、天平勝宝年間にこの地に建立された寺。その後の変遷を経て現在は真言宗醍醐派大本山となっている。どういう経緯でこの寺が醍醐派の大本山となったのかは、自分には分からないが、京都醍醐寺には国宝の五重塔があり、京都で最古の木造建造物となっている。広大な境内には桜の樹木が多く、秀吉が亡くなる直前、全国諸大名を集めての盛大な花見、醍醐の花見で有名で、自分も嘗て春と秋の2回この寺を訪問した。本堂の奥の弁天池の高台に建つ弁天堂を彩る秋の紅葉、こぼれる春の桜。どこを見ても国宝庭園に相応しい見事さだった。

ここ道隆寺は平地にあって、後ろの上醍醐の小山の傾斜を利用した醍醐寺の広大な庭園とは比べようもないが、唯一、合計したら何百体あるか分からない程の観音立像が、圧倒的で、この寺を印象付けている。この寺の檀家なのか縁者なのか、個々の奉納者が同じサイズの観音像を奉納していて、それぞれの表情は微妙に違っている。羅漢像に五百羅漢があるように、この寺は全く五百観音寺と呼ばれても良い位だ。いつの頃からかこの奉納が始まったのかは知らないが、この寺は戦国の兵火に遭ったとの記録がないので、相当古い頃からの観音信仰があったのかも知れない。江戸時代、この寺が高松松平家、丸亀生駒家の庇護を受けたとの記述もないので、民間信仰に支えられて現在に至っているのだろう。

現にこの寺は目直し観音の御堂もあり、眼疾に利益があるとの昔からの信仰もあったり、全国各地の観音霊場、水子供養の観音像も集められているという。又、初期の頃、智証大師円珍や理源大師聖宝も住したことがあって、その関係で京都醍醐寺との関係が生まれたのかも知れない。境内のあちこちに観音像が立っていて、これだけ沢山の観音様に見守れていたら、この寺にやってくる参詣者の心が清まらない訳はないだろう。本堂の後ろの多宝塔の脇を通り抜けて駐車場に出て、次の宇多津町にある郷照寺に向かった。

 

それぞれ観音の表情は違うようだ。

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眼疾、水子供養の観音も奉納されているという。

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江戸時代の眼科医を祀る御堂。

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本堂裏の多宝塔の横を通って、裏の駐車場へ。

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