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日々の連続

愛媛(伊予一国)ドライブ巡礼(78)伊予最後の霊場三角寺にて最後の合掌。

山門から境内の左奥に進み、先ずは本堂に向かう。

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右奥に本堂が見える。

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本堂の横には7mの高さの延命地蔵像が立っている。

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池の側の薬師堂。

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お寺の由来となった三角の池。

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伊予最後の霊場第六十五番三角寺。「みすみじ」、ではなく文字通り、「さんかくじ」と呼ぶ。その名前の通り、寺の境内には三角形の池があり、その池の中に三角形の島があり、弁財天を祀る小さな祠があった。本堂と庫裏はこの三角池を真ん中にして左右に結ばれている。三角のギスギスした世の中、人間関係。この寺の御詠歌「おそろしや 三つの角にもいるならば 心をまろく慈悲を念ぜよ」が見事にそれを表している。元々はここに弘法大師が三角の護摩壇を築いたことによるとのことだ。綺麗に舗装された車道が出来る以前のこの寺、遍路道は随分と険しい山道で、巡礼者も難渋したようだ。それかこれかは不明だが、この寺は伊予国の関所寺に任じられている。そんな難行の江戸時代、小林一茶はこの寺に巡礼し、「これでこそ 登りかひあり 山桜」の句を残しているが、一茶の時代もそれ以前も現在も、この寺は桜で有名だ。

73段の石段を登った上に立派な山門が建っていて、これは両脇に仁王像が立つ仁王門になっているのだが、その門を潜った境内は、本当に無人の境地だ。正面に三角の池が見える。参画池を見るのは後にして、先ずは左手の本堂に向かい、真言を唱える。ここのご本尊は十一面観音菩薩。数えたことはないが、八十八ケ寺の霊場の中で、十一面観音菩薩が一番多いだろう。あらゆる面に顔を向け、衆生を救済する。この寺も又行基菩薩の開基によるものだが、その後大師が訪れ、十一面観音菩薩を奉納し、ご本尊とした。大師は又不動明王も彫られ、件の三角池に護摩壇を築き、国家安泰、万民福祉の「降伏護摩の秘法」を修めたと言われる。戦国の戦火により堂宇は全て灰燼に帰したが、三角形の池だけは昔のままだ。想像していていたよりは小さな池で、境内を注意して歩かないと、通り過ぎるかも知れない。確かに三角形。規模の大きさは違うが、先般世界遺産に登録された熊本の三角港を思い出す。カチっと切り取られたような鋭角な三角形。熊本はミスミと呼ばれるが、明治期にその港が出来た時に、命名者はこの寺の名前を意識のどこかに持っていたのか・・。

本堂に並んで大師堂があり、それぞれ江戸時代の再建で堂々としたものだが、今回巡礼の最後の唱和をし、小さな池をしみじみ眺め、奥の納経所へ行くと誰もいない。張り紙があって、「今住職は庭のどこかで作業をしています。大声で呼んでください。」と。一旦外に出て大声で、「ごめん下さい! お願いします!」と叫んだら、広い境内の奥の方から作務衣を着た住職が戻ってきて、納経帳に達筆で流麗な文字で三角寺と流れるように書いてくれた。その寺の名前の上に梵字で「キャ」を書き、自分も多少の心得があったので、「ああ、その梵字はキャですか?」と知ったかぶりを言って見たが、その住職、落ち着いて、「そうそうキャです。十一面観音を表しています。」と。40代と思える住職は、納経帳に朱印を押すと、又、直ぐに境内に出て行った。こまめで端正な住職らしく、境内は綺麗に手入れされていて、心地よい感じだった。彼が妻帯者かどうかは不明だが、この空気の澄み切った山中の寺を守り、寺と共に生き、一生を終えていく。素晴らしい生き方と思えた。

大師堂。

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一茶の句碑もある。

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ここに大師は三角の護摩壇を建て、修法した。

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この巨木も桜だ。

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旧い遍路道が残っている。

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