ちゃおチャオブログ

日々の連続

四国霊場最後の巡礼(29)善通寺を後に次の霊場金倉寺へ。

善通寺駐車場からは前方に甲山が見える。

f:id:commodore:20201220180127j:plain

遠方には五岳の一つ我拝師山等も見える。

f:id:commodore:20201220180220j:plain

駐車場のすぐ前にある香色山の案内図。

f:id:commodore:20201220180312j:plain

山の入り口にある赤い鳥居が印象的だ。

f:id:commodore:20201220180354j:plain

四国は暖かい。駐車場には10月桜がまだ咲いている。

f:id:commodore:20201220180459j:plain

善通寺駐車場のすぐ前には高さ150m程の小さな山があって、登山口には真っ赤な鳥居が立っている。香色山という四国霊場八十八ケ寺のミニ霊場がある山で、登りやすそうな感じの山だったが、先を急ぐ身には寄り道はできない。この善通寺山号、五岳の一つに数えられている山だから、残念だ。善通寺境内にもいろいろと見落としの場所が多々ある。忙しい巡礼でやむを得ない部分もあるが、機会があればもう一度この寺にやってきて、境内の宿坊に1泊し、ゆっくりと大師の足跡をたどってみたい。

 

次の霊場金倉寺(こんぞうじ)も同じ市内の善通寺からすぐ近くの場所にあり、先刻の甲山寺と同じくらいの距離で、方向を反対向きした位置にある。この寺は八十八ケ寺の中では数少ない真言宗以外の寺で、天台宗である。弘法大師との係わりは不明であるが、この寺の創建はもう一人の大師、智証大師円珍の祖父によるものである。ただこの辺りは佐伯一門の和気氏が支配するところであり、円珍はこの寺のある場所で誕生した。円珍空海は従妹同士であり、彼も又空海に遅れること数十年、入唐して研鑽に励んだが、最長や空海のような遣唐使船による国費留学僧とは異なり、新羅船に乗って渡航し、帰りは唐船によって帰国を果たした。その後円珍比叡山延暦寺の第5代座主となり、後近江の三井寺園城寺に住し、天台宗寺門派の祖師となった。

 

この寺が四国霊場八十八ケ寺ケ所に組み込まれた背景は自分には分からないが、円珍空海の従妹関係、戦国時代の一時期この寺が荒廃した際、近くの真言宗の寺院の助けを受けていたとのこともあり、その後江戸時代になってから、高松松平家の支援を受けて再興したが、その一時期の巡礼道がその後も引き継がれてきたのではないかと思う。従って、この寺の大師堂は弘法大師を祀るのではなく、智証大師がご本尊として祀られている、珍しい霊場だ。さて、参拝に赴こう。

 

さて、次にやって来たのは、智証大師円珍所縁の金倉寺

f:id:commodore:20201220180659j:plain

金倉寺山門。小さな感じだ。

f:id:commodore:20201220180739j:plain

正面が本堂。右側の訶梨帝堂(鬼子母神)がある。

f:id:commodore:20201220180824j:plain

祖師堂(大師堂)。

f:id:commodore:20201220180908j:plain

祖師堂(大師堂)には中央に智証大師、左脇に弘法大師、右脇に神変菩薩(役行者)が祀られている。

f:id:commodore:20201220180946j:plain