ちゃおチャオブログ

日々の連続

石垣再訪(4)富士山再見。

箱根を過ぎたら、直ぐにも富士山が見えてきた。

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今日の飛行は前回のようにお釜の真上は飛ばないが、かなり接近した上空を飛ぶ。

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こうして富士山の間近を飛ぶと、過去の様々なことが思い出される。

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これは3年半前の12月、鹿児島へ行った時の富士山だ。

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二か月前の石垣行は、機が富士山頂の真上を飛んで、いつもは斜に見ている富士山が、この時は本当にお釜の上を飛び、大きな噴火口の跡に感激したが、今日の飛行も真上ではないとしても、山頂のごく近い付近を飛行し、改めて富士山の雄大さを感じた。この日本一高い山には過去2回登っている。3回登ってバカになるかとも思っていたが、今のこの足の状態では、もうとても無理だ。最初に登った20年ほど前には、当時は100名山を踏破していて、今ではもう遠い昔の夢の中の嘘のような話だが、当時は健脚で、殆ど疲れも知らなかった。

 

その最初の登頂の時、そうそうその時、丁度富士山頂の観測所が1か月前に閉鎖され、残された建物、機材等がヘリコプターで吊り下げられて運び下ろされた時だった。丸いドームの測候所が消えた跡のまっ平になった所を歩いたが、その時はもう既に亡くなっていた元測候所長、作家の新田次郎を偲んだりもした。その日は夜明け前に山頂に着き、ご来光を眺めた後、そのまま下山するのはもったいないと思って、富士のお釜を一周したが、1周して戻って来た時に、丁度ドームの吊り下ろしが行われる処だった。2回目の時は会社の同僚と一緒で、静岡側から登って来た同僚と山頂で合流し、早朝の乾杯、飲食になって和気あいあいの中時が過ぎ、そのまま元来た登山道を吉田口まで下山した。富士登山には2回の懐かしい思い出もあるのだが、飛行機でこの山の周辺を飛行するとき、当時の苦しくも楽しい記憶が呼び起された。

 

富士の雄姿が見られるのはほんの5-6分か、直ぐにも視界から消え、続いて南アルプスの山頂に雪を被った連山が見えてくる。日本で二番目に高い北岳を主峰にして、3000m級の名山が連なっているが、この南アルプスの大半は自分に取っては未知の山だ。北岳間ノ岳農鳥岳だけは登ったが、他は真っ白の状態で、行くチャンスを逃してしまった。もう既に100名山の後半部分、脚力が相当に落ちてきて、未踏峰を極める意欲は随分と減退した。人生の下り坂、100名山は75座で未完となったが、途中までとはいえ、それに挑戦しようとした自分を褒めてやりたい。この雪山を最後として、機は駿河湾沖から、洋上へ出て行った。

 

これは20数年前、100名山最初に登った鹿児島開聞岳

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4-5分で富士山は視界から消え、次に南アルプスの山並みが見えてきた。

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奥の高い山が北岳辺りか・・。

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駿河湾上と思われるが、雲が大分厚くなってきた。

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