ちゃおチャオブログ

日々の連続

紀の国訪問記(21)壇上伽藍蛇腹道を通って金剛峯寺へ。

壇上伽藍の出口(入り口)は蛇腹道になっている。

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ほんの30分ほどだったが、壇上伽藍の良い参詣ができた。

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もみじが紅葉しているようにも見えるが、今はまだ夏だ。

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春、紅葉が新芽を出して赤くなることがあるが、ここは山の上で、季節が遅れているのか・・。

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壇上伽藍参道の出口は蛇腹道と言われている。弘法大師が生きていた1200年前に既に蛇腹という日本語があったのかどうか、又あったとすれば、この言葉はいつ頃から使用されるようになったのか・・。言語学者でなくても興味ある処だ。蛇のお腹は皮が弛んでいて、二重三重にも重なり合っている。それは蛇のお腹が倍3倍にも膨らみ、野ネズミとかイタチなどの小動物を丸飲み込みにし、お腹の中に押し込んで、その蛇腹運動で蠕動しているからに他ならない。蛇のお腹は大きな包容力、栄養吸収の源泉だ。大師がそれを意図して、この参道を蛇腹道と名付けたのかどうかは自分には分からないが、この壇上伽藍創建時に大師が名付けたとしても不思議はない。

 

今はカメラは殆どがデジカメになっているが、昔のカメラには蛇腹がついていた。レンズの焦点を合わせる為に蛇腹を前後に動かし、ピッタリの焦点位置を探した。また昔の提灯などは折り畳み式になっていて、その胴体が膨らんだり縮んだりして、これも又蛇腹の構造だった。他にも探せば同じような蛇腹の用法はあるだろう。1200年前、或いはそれよりももっと古い時代の日本語が今に生きている。伽藍洞もそうだ。お寺のような大きな建物、伽藍の中は空っぽ。蛇腹と同様,ガランドウ、がいつ頃から日本語の中に取り入れられたのかは知らないが、それは当然仏教が日本に伝来して以降のことだ。空っぽの伽藍では困るので、その中に仏像とか、曼荼羅を飾るようになった。日本語の起源を尋ねるのも良い頭の刺激にはなる。

 

縞模様のさざ波が折り重なっているような感じの蛇腹道、凡そ500m程の参道をあれこれ思い描きながら歩くと、出口の「時の鐘」に出る。これは江戸時代の初め、秀吉股肱の大大名、福島正則金剛峯寺に奉納し、この場所で刻の鐘を鳴らしていたが、今は「6時の鐘」と呼ばれている。朝6時から夜10時まで、偶数時に鐘を鳴らしているという。江戸時代の一刻は今の2時間。時代と共に呼び方は変わっても、有り様は変わらない。この「時の鐘」から150m程先に金剛峯寺山門前に出る。もう山門は既に閉じられている。今日宿坊に何人泊るのかは聞いてはいないが、余り遅くなってお寺の作務に迷惑を掛けてはならない。足は疲れてはいるものの、精一杯の速足で宿坊に急いだ。

 

蛇腹道とは誰が名付けたのか、不思議な名前だ。

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その蛇腹道の出口(入り口)角には時の鐘が建っている。

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江戸時代初め、福島正則金剛峯寺に寄進したものだ。この時彼はどこの国大名だったか・・。

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そこから少し先に金剛峯寺の山門がある。この時間、もう誰もいない。

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