ちゃおチャオブログ

日々の連続

紀の国訪問記(20)壇上伽藍の通り抜け。

壇上伽藍には沢山の建造物があって、時間がないととても見切れない。

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愛染堂だ。仏教に愛は付き物。

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案内図もある。向こうは蓮池だ。

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高野山、壇上伽藍の縁起が解説されている。

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大阪造幣局桜の通り抜けは、このコロナ禍で去年、今年と中止になっているが、その通り抜けの名前の通り、入り口から入って出口までの凡そ500m程が桜の園の一方通行になっていて、観桜者は満開の桜を見ながら、前へ前へと進んで行く。この壇上伽藍も同じように細長い造りになっていて、山門から入った参詣者は金堂、根本大塔、不動堂等、細長い敷地の中で左右に並んだ御堂を見たり、お参りしながら、一本道のように進んで行く。ただこちらは大阪造幣局と違ってUターンは可能で、双方の通行が可能になっていて、この先にある出口、蛇腹道(こちらが本来の入り口ではないかと自分は思うのだが)から入って来て、山門へ抜けることもできる。境内は一直線上に建物が並んでいるので、参詣者に取っては順番にお参りしていくことができるので好都合だ。

境内は緩やかに傾斜していて、根本大塔の辺りが一番高く、そこから蛇腹道に向かって、緩やかに下って行く。この高野山の細長い山上台地自体が緩やかな傾斜があり、高野山大門辺りが一番高く、土地は徐々に下って行って、約1キロ先の奥の院辺りが一番低い位置になっている。弘法大師の設計思想がどの辺りにあったのかは、自分には分からないが、根本大塔のほぼ裏側に大師の住まい、御影堂があって、大師は御影堂を出て、緩やかな坂を下って行き、金剛峯寺の前を通り、奥の院の地下に下り降りて瞑想に入った。死んだ訳ではないので、古事記の黄泉の国とは異なるが、何か連想させられる山上全体の造りである。

重要建物の数が多く、それに反比例して時間がなく、殆ど写真を撮るだけに終わってしまった壇上伽藍の通り抜けだったが、昔の人は苦労して820mの山の上にやって来て、大門を潜って最初にこの場所にやってきた。天上の楽園にやってきた思いをして、この1本道を宿坊に向かって歩いて行ったのだろう。天皇法皇も将軍も。大師は稀に見る偉大な宗教家だった。天皇陛下から最初に賜った大師号、その後、伝教大師最澄、等々数多の高僧が続いたが、日本の大師信仰、お大師さんは弘法大師のみを指し、今に至っている。さて、夕食の時間も迫っている。宿坊に急がなくては・・。

 

大師お手植えの梅・・

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三昧堂だ。

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  • 壇上を下山する。

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    長く記憶に留めておこう。

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