那智勝浦港の案内図。見た通り、湾は半島と小島に守られていて、外海の暴風から守られている。
お魚市場の横には足湯もあり、少し浸かることにした。
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古びた駅前商店街を通って、宿に戻る。歩いている途中に大雨になり、途中の土産店に入り、那智黒の原石を土産で買って帰る。
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今晩の宿、温泉民宿小阪屋。
和歌山は意外と知られていないが、温泉県だ。県内あちこちに温泉があり、殊、南紀地方には多い。紀伊白浜は平安の時代から有名で、熊野詣での上皇などもこの温泉に逗留したと言われる。どこか奈良時代の朝鮮の役で時の斉明天皇が道後温泉の外湊、饒田津で潮待ちした故事を思い起こす。その白浜温泉は今でも関西の1,2を争う温泉地で、今ではパンダ動物園なども開業していて、人気度は高い。
この温泉県和歌山の中でも、一番湯量が豊富なのはこの那智勝浦で、あちこちに温泉が湧出し、有名ホテルも幾つかある。港の先に外海の荒波を避ける半島があるが、そこにはホテル浦島があり、その半島の向かいの中の島には、送迎ボートでしか渡れない中の島ホテルなどもあり、ここは1泊10万円程もする超豪華な温泉ホテルなのだが、町中にある大江戸温泉物語なども3万円からの泊まり賃で、自分の予算では到底泊まれそうにないホテルが、高級ホテルがごろごろある。今晩の自分の宿は温泉民宿小阪屋という処で、夕朝食込みで9000円は、市内で一番の割安だった。
お魚市場での解体ショーを見終わり、そろそろ宿に戻ることにした。埠頭の中程から正面に那智山が見える。この町は丁度那智山に抱えられて発達したような街並みだ。どことなく自分の故郷、伊豆の戸田に似ている。戸田港も達磨山に抱えられるようにして町が出来、港もここの浦島岬のように細長い美浜岬で駿河湾の荒波を防いでいる。幕末にはプーチャーチン率いるロシア艦隊のデアナ号が伊豆沖で難破し、代わりの日本最初の洋船、君沢号をこの港で建造したこともあった。
市場の直ぐ横に足湯コーナーがあり、入って見る。去年道後へ行った時に、市電の道後駅前、アーケードの出口付近に饒田津を想像させるような熱い足湯があったが、それ以来の足湯だ。そう言えば一昨年、輪島でも足湯に漬かった。ここの足湯は道後と比べると少し湯温は低いようだが、疲れた足には有難い。通りすがりの観光客なのか、3-4人が同じように足を漬けていた。
厚い雨雲が正面の那智山に掛かり、動きも早い。ほんの少しの散歩と思い、先刻那智瀧の食堂で買ってきた傘は旅館に置いてきた。気象の変わり目の早い南紀地方、いつまた雨になるか分からない。と思って、寂れた駅前商店街を歩いていると、ポチポチやって来た雨だれは、1-2分もしない内に土砂降りに変わり、商店街の軒下を借り借り駅に向かった。このまま歩いていたらずぶ濡れになるが、丁度そこに古い土産店があり、飛び込んだ。この古い商店街、店が開いているのは、ここを含めて3-4軒だ。
店主なのか店番なのか、高齢で品の良いおばあさんが寄って来て、色々と土産物を進める。名物那智黒の飴を勧められたが、売れ行きの悪そうなこの店で買うのは遠慮した。同じ那智黒でも、碁石で有名な黒石の原石を買う。見事な山の形をしていて、春日部の婿さんの土産に丁度良い。那智黒石は那智川の河原で採れるものとばかり思っていたが、那智山の崖を爆破し、その岩石の中から掘り出すとのこと。今は採掘業者も少なくなって、貴重品とのこと。コロナ前には香港からお客さんがやってきて、大きな原石を20万で買って行った、等々、久しぶりの客に話も尽きないようだった。その上品なお婆さんと話をしている内に雨も小降りになり、宿に戻ることにした。
宿の前のハイビスカス。
- 民宿の部屋だからこんなものか・・。
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夕食のマグロ料理。昨夜飲み過ぎたので、今日はアルコール抜きだ。
- 朝食。ここでも又サンマの塩焼きが出た。・・サンマは高いだろうに・・。
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