ちゃおチャオブログ

日々の連続

四国霊場・高知篇(29)足摺岬、サニーサイドホテルへチェックイン。

佐清水港。天然の良港だ。

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港の奥の大きなスーパーを通り過ぎると、足摺岬に向かう道路に入る。漸く前方に港の出口が見えてきた。

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佐清水、中浜集落の辺りか・・。

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小さな入り江のある集落だ。

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江戸末期、ジョン万次郎が高知沖で遭難し、流れ着いた鳥島で米国捕鯨船に救助され、捕鯨船長の好意によって米国へ連れて行かれたが、それが米国本土に入国した最初の日本人で、船長の養子になって米国式教育を受け、幕末、開国前の日本に戻ってきて、大いに活躍したが、それは小学校の教科書にも載っている。自分はこのジョン万次郎が土佐(高知)出身とだけしか知らなかったが、バスが土佐清水の町に入ると、ジョン万次郎生誕の地とか、記念館、彼の苗字になっている中浜村、等々の表示も見える。そうか、万次郎はここの出身の漁師だったのか・・。彼がここ土佐清水の出身とは、ここへ来るまで知らなかった。

 

日本の田舎の漁師の少年が米国の学校で優秀な成績を収める。養親となった捕鯨船長も驚いたことだろう。後年東郷平八郎が英国海軍士官学校を主席で卒業した、そんな当時の日本人の素晴らしさがダブって映る。東郷も薩摩鹿児島の田舎の百姓だ。江戸時代、寺小屋でどの程度の教育を受けていたのかは知らないが、この二人に限らず、開国前後の日本で、世界でも恥じない多くの日本人を輩出している。日本人の能力の高さ、優秀さを世界の人々に知らしめたことだろう。

 

佐清水は港は奥深く立派だが、商店街のあるような街並みはない。港の奥まった場所にかなり大きなスーパーがあり、サニーロード店と出ている。町自体は直ぐに通り過ぎて、このスーパーから先が足摺岬まで通じるサニーサイドロードだ。ホテルが岬の少し手前にあるが、途中、中浜という地名の集落を通り過ぎるが、人家は少ない。万次郎はこの辺りの生まれと思うが、今も昔の過疎の集落だったに違いない。そこから程近い場所に今晩の宿サニーサイドホテルがあった。

 

ホテルは斜面に建っていて、目の前が広大な海だ。アメリカまで通じる太平洋。雄大な景色が広がっている。丁度日没前の時間で、天気さえよければ、海に沈む太陽が水平線に沈むまで眺められるだろうが、残念ながら今は曇り空で、太陽は見えない。窓の外の南国的な樹木が見えるだけだ。夕食まで時間があるので、地階のお風呂に入ることにした。温泉で露天風呂もある。何人か顔を見知った人も入っていて、和やかに温泉に漬かった。

 

今晩の宿サニーサイドホテルにチェックイン。中々良い部屋だ。

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部屋の窓からは広大な太平洋が見える。

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夕日が奇麗なホテルだが、今日は曇りで残念だ。

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足摺岬はこの山の向こう側。残念、見えない・・。

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