ちゃおチャオブログ

日々の連続

四国霊場・高知篇(28)土佐清水。

四国の石鎚の麓から滔々と流れ来る四万十川

f:id:commodore:20190927182944j:plain

 

四万十を過ぎて少し行くと土佐清水の港に出る。

f:id:commodore:20190927183032j:plain

 

ここは又随分奥深い湾になっている。気仙沼、大船渡の鰻の寝床よりも遥かに深い湾だ。

f:id:commodore:20190927183138j:plain

 

大型船は見えないが、小舟が多数係留されている。

f:id:commodore:20190927183227j:plain

 

 

今の大井川も天竜川も上流にダムがあって、普段は川筋は細く、大半は河原石で覆われていて、川がどこを流れているのか分からない程だ。ダムのなかった江戸時代、川幅は広く、水は滔々と流れていたに違いない。自宅近くの多摩川ですら、何か所かで渡し船が出ていたが、今では府中辺りの浅い場所では歩いて渡ることもできる。川を歩いて渡ると言えば、ラオスビエンチャンを流れているメコン川で、川の真ん中がタイとの国境になっているのだが、自分はその川を歩いて渡り、タイへ行ったり、タイから又ラオスへ戻ってきたり、という経験もある。川の両側に住んでいる両国の人にとっては、川の中の国境など全く意味をなさないことなのだ。

 

そんなメコン川や大井川でも大雨が降れば全く別の顔になる。東海道五十三次、お金のない人は籠には乗らずに、浅瀬を歩いて渡っていたが、大雨の時にはとてもそれはできない。舟止め、足止めを食って、川の水位が引けるまで、何日も島田の宿に泊まって待たなければならなかった。このダムの無い四万十川も今はそんな状態で、誰も舟を出して、川釣りなどへ行く人もいない。自殺行為だ。濁流が収まるのを待つしかない。

 

四万十川を渡った少し先に海が見えてきて、深い湾になっている。土佐清水だ。以前から名前は聞いているが、初めてやってきた。日本を代表するカツオ漁の港町だ。湾が深く入り込んでいて、その曲線の岸壁に沿って、小型船がびっしり係留されている。大型船は見えないが、今はどこか遠洋へ出ているのだろう。今この港に係留されている小舟は夜曳きの近海、沿岸漁業の小舟に違いない。それにしても沢山の数だ。この港町にはそれだけ沢山の漁師が住んでいるということか。

 

日本の港町。根室の花咲、大船渡、塩釜、銚子、三崎、焼津、境港、下関、枕崎。日本を代表する湊を数多く見てきたが、この土佐清水程、湾が深くくびれこんでいる港を見るのは初めてだ。正に天然の良港。嵐があっても津波があっても、この港に逃げ込めば、安心だろう。バスの中からほんの通りすがりに港を眺めただけだが、良い経験となった。いつかゆっくり来てみたい。この港町と宿毛へ。

 

複雑に入り組んでいて、どこが入り口で奥なのかも区別もつかない。

f:id:commodore:20190927183338j:plain

 

この町にはこれだけ沢山の漁師と、その家族が生活しているのだ。

f:id:commodore:20190927183430j:plain

 

素晴らしい天然の良港だ。

f:id:commodore:20190927183536j:plain