ちゃおチャオブログ

日々の連続

四国霊場・高知篇(27)四万十川。

四万十の上流、山の方にはまだ雨雲が重く掛かっている。

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珍しい、こんな海岸から離れた内部にも避難櫓が建っている。

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間もなく四万十川に合流する。

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ああ、四万十川だ。ここも茶色に濁っている。

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今は雨は上がっているが、午前中はかなりの集中豪雨だったのだろう。名前は分からないが、四万十川に流れ込む支流は茶色の濁流となって、早いスピードで流れ去っていく。山の方を見ると、まだ雨雲が重く垂れさがっている。平地は雨は上がっているが、山間ではまだ多量の雨が降っているのだろう。海岸近くの平野部で時々見かけた津波避難の鉄櫓が、こんな内陸部でも見える。・・そうか、これは津波避難用ではなく、河川の氾濫で川の水が溢れ出た際の避難櫓かも知れない。万が一のそうした時の為にも、避難場所の確保は必要なのだろう。

 

程なくバスは四万十川突堤に出た。この大きな川も茶色に濁って、川幅一杯に流れている。堤防喫水線までにはまだ余裕はあるようだが、河川敷は全く見えない。普段は広々とした緑地帯が両側から河を挟んでいるのだろうが、今はこちらの堤防から反対側の堤防まで、数百mの幅一杯に流れを集めている。夏雨を集めて捷し四万十川

 

最初にこの四万十を見たのは、もう20年以上になるか・・。松山城を見て、宇和島城を見て、その宇和島から中村まで予土線に乗ってやってきた時だが、2両編成の気動車、ワンマンのジーゼル電車が沿線に殆ど集落らしい町並みがない田園地帯を走ってやってきた。その時、大きく蛇行している川、これこそが四万十川だったのだが、幾度も橋を渡り、幾つものトンネルを通過し、トンネルを出ると又すぐ鉄橋になり、それを何回も繰り返して、中村に出た。

 

その時の川の澄んでいること。ちらほら河原に立つ漁師なども見えて、流れのゆるい所には小舟なども出ていた。日本一奇麗な川、流域にダムの全くない清流に感動した。沿線で多分一番大きな駅、西土佐も無人駅だった。約2時間の秘境の旅。不思議なことに、この時の旅行はどこから松山にやってきて、この先高知まで出たのだが、高知から先、どの様に東京に戻ったのか、さっぱり思い出せないが、この四万十の清流沿いの電車の旅は、いつまでも記憶に残るものだった。

 

その四万十川が今は満々と水を湛え、よもや堤防の決壊はないだろうが、殆ど満水に近い川幅一杯の流れで、20数年前の四万十から想像もできないような茶色の流れで、流木などもぐりぐり押し流している。川幅は藍住町辺りで見る吉野川程は広くはないが、堤防から堤防までの目一杯、200-300mの川幅を満々と流れている。午前中の僅か短時間の集中豪雨で、これ程の川幅になる。自然の偉大さ。自然が牙を剥いて暴威とならないことを願うだけだ。四万十に架かる橋を渡り対岸に出て、内心ほっとした。

 

 

川幅一杯の流れ。すごい水量だ。

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一体どれ程の川幅があるのだろうか・・。河川敷は全く水没している。

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堤防は決壊しないとは思うが・・。

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大河がごんごん流れている!

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