ちゃおチャオブログ

日々の連続

しなのの一日(5)筑摩川旅情。

ホテル上階の浴場からは眼下の千曲川が見える。

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この辺りでは雄大な川幅だ。。万葉橋も見える。

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このずっと先に上田、小諸、佐久がある。

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島崎藤村千曲川旅情は、今この上山田温泉のホテルの最上階の露天風呂から眺めている眼下の千曲川ではなくて、この川の上流50キロ位の場所にある小諸城の外堀としての役割を果たしている千曲川のことで、3年前、同じように稲さん、吉さんと3人で、小諸城の横にある同じく伊東園に泊まり、翌日、お城の展望台から眼下の深い川の淵を見下ろしたことが思い起される。千に曲る川、千曲川は、もう10年程も前、山の仲間と甲武信岳に上り、十文字峠のすぐ下の辺りから源流が始まり、これが千曲川になって、その先、日本一長い信濃川になって、日本海に注ぐのかと感動したが、あの小さなせせらぎが、小諸では深い淵になり、ここ上山田では立派な大河になっている。

 

ホテルをチェックアウトし、今日は途中上田城に立ち寄って帰るだけなのだが、その前にこの川に掛かる万葉橋の手前まで行き、改めて千に曲る川を眺める。左手に門戸のような大きな垂直の岩が立っている。戸倉だ。戸倉上山田温泉、二つ合わさったような温泉街だが、今は二つとも千曲市になっている。奈良朝時代、この辺りは筑摩郡と呼ばれていて、この川も筑摩川だったのだが、いつの間にか平易な千曲川に変わり、千曲市になった。奈良朝以来の古風な筑摩を未だ使用しているのは筑摩書房位だが、この会社の創業者がこの辺り、筑摩出身と聞いている。

 

万葉橋の袂から川を眺める。災害から1か月、傷跡はかなり修復されてきているものの、氾濫の後はそこかしこ残っている。この500mにも及ぶ川幅一杯に満々と水を湛え、橋を乗り越え、土手を越えて、溢れ出た。堤防が決壊しなかったことだけが幸いだ。ホテルも地下が浸水し、地階のゲームセンターは使用禁止になっていた。山門という言葉がある。九州福岡から熊本に掛けての場所に奈良朝時代山門郡があった。そこがどんな場所から行ったことがないので分からない。古市の大和川を上って,二上山の横を通って奈良盆地に至る川。川下から川上に遡上してきた古代人は、丁度このような山門を見たのであろうか。戸倉の先の崖の門扉も丁度そんなような山門に見えた。

 

万葉橋の袂から下流を眺める。

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濁流はこの万葉橋も乗り越えたのだ。

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万葉橋から上田方面、真田の里、山並みを眺める。

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