ちゃおチャオブログ

日々の連続

紀の国訪問記(61)熊野川を上がる。

新宮郊外の小さなトンネルを抜けると、直ぐ右側に熊野川が見えて来る。

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四万十同様、大きな川だ。

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多雨地方の川、川幅も広く水量も豊富だ。

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山は迫り、崖崩れの跡も見える。

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紀伊半島を北から南に流れ落ちる大きな川が南紀には二つある。その内古座川は近年流れの綺麗な事、水が澄んでいて、泳いでいる魚影も見える等々、自然愛好家の人気が高まり、それに連れて全国的にも人気度が増しているが、熊野川はそうした人気に左右されず、昔からどっしりと、滔々とした水量を抱え、有史以前からこの地方の中心的存在だった。歴史上、数々の伝説を残している徐福が、九州方面からやってきて、最初に上陸したのはこの熊野川河口付近と言われ、又、神武天皇が東征に際し上陸した地点もこの川の付近で、この河口近くには頓宮跡もあり、天皇が船出した渡御所も残されている。そもそも新宮はこの川によって発展し、川の畔に鎮座する速玉大社にはそうした史実の数々の史跡や伝承品が残されている。

 

新宮は小さな町だから、駅前を出たバスは4-5分も走らない内に町を出て、川に掛かる熊野大橋は渡らずにその手前の100m程の短いトンネルを抜けると、そこはもう熊野川の右岸を走る道路になっている。これから暫くバスは川の右岸を北上し、窓の右手にずっと熊野川を見ることができた。バスの乗客は自分を入れて3人。二人は地元の人らしく、外の景色を眺めるでもなく、転寝でもしているようだ。このバスは終点が熊野本宮だから、そこに用事のある人か、途中のどこか集落に行く人だろう。大きな荷物を持っている訳ではないので、里帰りでもなさそうだ。二人とも40-50代の中年男子。この川に生まれ育ち、今はどこか遠い都会に住んでいるような感じの中年だ。

 

川は広々として水量も豊富だ。川原石も真っ白で、蛇行している場所では大きく河原が広がっている。川の途中途中に小集落が見える。川と共に生き、森と共に生計を立ててきた。だが、昭和平成令和の時代になって、そうした牧歌的な生活、生計はもう成り立たなくなりつつあるだろう。限界集落、と言ったら失礼か・・。この川筋に沿って、こうした小集落が点在し、その途中に熊野本宮があり、更にその先の上流に十津川村がある。今現在この村の村域は全国で一番広いという。熊野川流域の多くを占め、更に山中の吉野大台ケ原に続いているだろう。明治の頃この村を襲った大山津波は多くの犠牲者を出し、村民の多くは離村し、集団で北海道へ移住した。映画にもなった新十津川物語。鳥も通わぬ十津川の里。この流域のずっと先の方には、その集落があったのだ。

 

バスは川の右岸をずっと北上する。

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ああ、滝が見える。

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雨上がりの幾筋かの滝。

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自然の景観、近寄りがたい奔流。

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