ちゃおチャオブログ

日々の連続

紀の国訪問記(64)湯の峰温泉を通り、熊野本宮へ。

盆地状の平地には人家も多い。

f:id:commodore:20211025171619j:plain

 

バスは山中に入り、湯の峰の湯治場を通る。

f:id:commodore:20211025171705j:plain

 

ああ、世界遺産の壺湯も見える。ただ今はコロナで閉鎖されている。

f:id:commodore:20211025171750j:plain

 

湯の峰を通り過ぎ、大日越えの峠を越えて、熊野本宮の里に出る。峠には小栗判官を祀る場所も残されている。

f:id:commodore:20211025171843j:plain

 

紀伊半島には活火山の山はないが、温泉場は多い。特にそれは半島の周辺部を首飾りのように取り巻いている。それはこの半島の生成の由来によるものであり、今から凡そ100万年程前に半島の中央部が隆起し、その土台の上に3万年くらい前に周辺部が隆起した結果の複雑な造山活動、摺山運動によるものと聞いている。地下の複雑な巨大プレートがぶつかり合い、マグマが渦巻き、その一部が温泉として、地表に顔を出しているのだ。

 

熊野川を遡ってやってきたバスは、川沿いの集落や、ちょっとした盆地状の平地にかたまって建っている集落を通り、又山の中へ入り込む。その山中には日本最古の湯治場、湯の峰温泉があり、開湯1800年、歴代上皇が熊野詣での途次に湯治した場所だ。内心はこの場所にはバスを降りてもやってきたかった。ここから熊野本宮まではそれ程離れてはいない。しかし途中に大日越えという山坂があり、熊野古道の山越えの道を歩かなければならない。今の自分の足ではとても無理な相談だった。バスの中から如何にも古びた、忘れ去られ打ち捨てられたような鄙びた湯治場を見るのが精一杯だった。

 

この湯治場には一遍上人伝説と、小栗判官の二つの伝説が残っている。小栗判官は幕末に活躍した幕臣能吏の小栗小栗上野介とは別の人で、幕末の小栗よりは400年も前の室町時代の武将だ。ただ何等かの血脈の繋がりはあるだろう。伝説ではその小栗判官が騙し討ちにあって殺害され、後、幽鬼となって現れたが、許嫁の照手姫に助けられ、ここ湯の峰までやって来て、今も丁度バスの中から見える世界遺産の壺湯に入って養生し、再び元の人に戻ったという。ここの温泉に如何ほどの薬効があるのかは自分には分からないが、世界遺産に登録される位だから、霊験あらたかなのだろう。バスは大日越えを越すと、盆地状の平地に出て、そこは熊野本宮を中心とする集落だった。

 

熊野本宮の里に出て、熊野河原に立つ、大斎原の鳥居が見える。

f:id:commodore:20211025172119j:plain

 

終点、熊野本宮バス停前には、貝のマークの、スペイン巡礼の標識が立っていた。今回の熊野三山の巡拝で初めて見たマークだ。

f:id:commodore:20211025172251j:plain

 

田辺行のバスの運行状況を確認し、本宮の参拝に向かう。

f:id:commodore:20211025172333j:plain

 

本数は少ないが、問題はないようだ。

f:id:commodore:20211025172414j:plain