ちゃおチャオブログ

日々の連続

紀の国訪問記(71)中辺路の里。

トンネルを抜けたバスは穏やかな里山、中辺路に出る。

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最初の停留所、集落の中にある中辺路道の駅。

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次の停車は中辺路停留所。4-5分、長く停車したので、バスの外に出て、周辺を見る。

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実に平和そうな集落だ。運転手に美術館の方向を聞いたが、詳しくは知らなかった。

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バスの到着時刻が近づいてくると、軽が1-2台バス停の近くまで来て、エンジンを切って待っている。バスから降りてくる身内を待っているのだ。新宮、熊野、勝浦方面からやって来たお客は熊野本宮のターミナルでこのバスに乗り換え、ここまでやって来て、自宅はこのバス停から更に山奥になるのだろう。バスから2‐3人降りてきて、それぞれの迎いの車に乗って、脇道に入って行った。今は携帯がどこでも通じるから、バスの到着時間を連絡し合って、迎いをお願いしたり、或いは自ら進んで迎いに来ているのだろう。

 

白浜行きの大型リムジンバスはまばらに客が乗っていた。今コロナ禍でこの程度の客で、大型リムジンを動かすのは経費の無駄に思えるのだが、観光フルシーズンには盛況なのだろう。コロナは何もかも破壊し、その被害はこんな山奥にまで及んでいる。バス停を出たバスは、国道に合流し、直ぐにもトンネルに入る。来る時も別のトンネルを通って、この熊野本宮にやって来たが、本宮は幾つかのトンネルによって守られているようだ。ここは幾つかの川に囲まれた島のような絵図面だったが、実際は周りを高い山に囲まれた島世界なのかも知れない。

 

トンネルを抜けると山容の優しい里山のような丘陵地に出る。中辺路の里だ。先刻の食堂の絵図面にあったが、熊野本宮へ至る辺路は幾つかあって、最も険しく大変なのは吉野山金峯山寺からの大峯奥駈け道で、次に又大変なコースは高野山金剛峰寺からの高野道。幾つもの山坂を越えて行かなければならなかった。そんな中で比較的楽に行けたコースは中辺路で、歴代上皇もこのコースに依って熊野詣を果たしていた。海南や田辺辺りからの辺路には九十九の王子社が建てられていて、お遍路さんの心の支えにもなっていた。トンネルを出てからの、この穏やかな山並、山里の景色を見ていると、この巡礼路が人々に好まれた理由は自然に理解できた。

 

時間があればここで下車し、少し村落を散策してみたかった。ここには「なかへち美術館」があって、その設計は世界的に評価の高い妹島和世の作品で、周囲の自然とマッチした心のなごむ設計思想が表現されている、との毎日新聞の記事に出ていた。茨城出身の妹島は建築界最高峰のプリッツア賞を世界で二人目の女性として受賞し、先年紫綬褒章も受けている。レンタカーであれば十分取れる時間もバスでは途中下車などの余裕も無く、中辺路バス乗り場で少し長めに停車した機会を捉え、少し車外に出て周辺10m近辺を歩き、村落の空気を味わうのが精いっぱいだった。いずれにしてもこのコロナ下では美術館も閉館になっているだろうし、中に入ることは出来なかったに違いない。

 

村落の中にはこんなクラフトショップなどもあった。「木古里」。

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バスは再び出発し、田辺に向かう。木陰に中辺路の家並みが見える。

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昔からここにこうして住んでいた。平和な集落だ。

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田辺市はこんな山奥にまで膨張し、中辺路を吸収合併し、更にその先の熊野本宮まで今では田辺となっている。嘗ては凡そ想像できないことだった。

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