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日々の連続

紀の国訪問記(66)熊野大社と一遍上人。

熊野本宮大社は、4棟の社が横並びしている。

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横幅の広さは100mを越えている。

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正面の本殿にこの宮の主祭神が祀られている。

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熊野大社、速玉大社、那智大社、の3社が仲良く並んでる。

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158段の石段を登った台地の上に4棟の社殿が並んで建っている。今まで見てきた那智大社も速玉大社も見事な朱色に塗られていたが、ここの社殿も大鳥居も無垢の木肌のままで、それ等は年を経てくすんだ鼠色をしている。鮮やかな朱色も良いが、こうした木地のままの古びた色合いは、更に深い趣を感ずる。いろいろ全国の神社、神宮を参拝しているが、このような着色のない無地のお宮を見ることは少ない。

 

しかも4連棟だ。殆ど同じサイズの社殿が4棟水平に並んで立っている。その横幅の長さは100m以上あり、4社はそれぞれ30m程の横幅を持っている感じだ。どの社からお参りしていくのか迷うが、案内によれば、石段を登って真っすぐの正面が本宮誠証殿で、ここには素戔嗚尊の生まれ変わり、当宮の主祭神,余り聞きなれない名前だが家津美御子大神。その左隣が速玉大神、更に左隣が、これも又聞きなれない名前だが夫須美大神。更にその一番左端が天照大神。夫須美大神は那智大社の祭神で、フスミ→ムスビ→結びを意味していて、この那智大社が熊野巡礼の結び、最終の霊場となる。海南、田辺辺りから中辺路を通ってやって来た巡礼者は、大日の山を越えて、漸く熊野本宮に辿り着き、熊野川を下って速玉大社に至り、最後に那智大社に向かったのだ。

 

ここでもう一人忘れてはならない人がいる。小栗判官と同時代の聖、一遍上人だ。既に念仏教の指導者として名声を得ていた一遍は、更にその思想を深める為にここ本宮にやってきて、熊野権現からの神勅を受け、「南無阿弥陀仏」と唱えることにより、全ての人が往生できる、「六十万人頌」とする教義、時宗を打ち立て、後、51歳で亡くなるまでの16年間、全国を遊行し、念仏勧進の旅を続けた。国宝、一遍聖絵にはその時の出会いの図が描かれている。熊野の山を下りた一遍は、その後那智大社に向かい、聖絵の中には、国宝の「那智の大滝」も描かれていた。仏教者が神道の神と出会い、見事な神仏習合の教学を融合させたのだった。

 

ここには天照大神イザナミも祀られている。

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一番奥には八百萬神も祀られている。

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白河上皇の御製もある。

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多くの上皇法皇が参詣にやってきた。

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