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日々の連続

紀の国訪問記(67)熊野本宮大社を下山する。

正面の中門の先が4殿境内になっている。右手にお札販売、左手に社務所がある。

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4殿の参拝順序は正面の社殿から、順番が振ってある。

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社務所の前に拝殿がある。

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重厚な建物だ。

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1日に何カ所も訪問し、しかもバスによる長距離移動。バスの本数は少ないし、乗り損なったら次のバスまで何時間も待たされてしまう。この点が自由気儘に移動できるレンタカーとは異なるマイナス面だが、免許証を返した以上、やむを得ない。制限された枠内での旅を続け、楽しむしかない。ここ熊野本宮でも、もう少しゆっくり参拝したかったのだが、先々のことを考えると気持ちも急かされ、参道の石段の往復の時間を入れても、多分1時間もいなかった。

 

昨日の那智大社には隣の青岸渡寺の観音霊場巡礼者などもいたりして、そこそこの参詣者はいたが、今朝の速玉大社は午前の早い時間だったのか、参詣者の姿は殆ど見かけなかった。ここ熊野本宮では大阪、名古屋方面からの高速道から大分離れた場所にあるせいか、那智大社青岸渡寺程の賑わいはなかったが、それでも社務所前にはお札を買い求める人で、多少の賑わいは見せていた。自分は既に孫二人には那智大社で買ってあったので、ここでのお札、お守りはパスにした。本殿から一段低い場所、社務所と同じ敷地の奥にある八咫烏神社にお参りし、下山することとした。

 

ここで最後にもう一つ見ておきたい場所は大斎原(おおゆのはら)だ。そこは熊野川の河原の上にあって、嘗て熊野本宮4社殿が鎮座していた所で、明治の大水害で濁流に飲みのみ込まれるまでの、社伝によれば2000年もの長い間、ここが神々の居ます處だった。明治22年の大水害により、辛うじて助かった4社殿は、現在の高台の上に移されたが、自分が思うに、多分その時に今のような4社殿が横並びに鎮座する形になったのではないか。嘗て、宇佐神宮を参拝した折、なだらかな坂道を登った先に境内があり、入ると正面に3つの社殿が並んで建っていて、随分珍しい造りに興味を持ったが、或いはここ大斎原も宇佐と同じように、本宮、速玉、那智の3社が並んで建っていたのかも知れないが・・。再び158段の石段を下り降り、バスターミナルの先にある大斎原に向かった。

 

ここでは又八咫烏も祀られている。

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本足のカラス、八咫烏が神武東征の明日香の地へ案内してくれた。

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再び158段の石段を下りて、大斎原へ向かった。

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熊野川の中州の先に、大斎原の大鳥居が見える。

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