ちゃおチャオブログ

日々の連続

紀の国訪問記(75)展望台から三段壁を眺め、田辺のホテルへ。

展望台から三段壁を見ていると雨がぽつぽつ降って来た。

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凄い岩肌だ。ゴンタさんは以前エレベーターで降りて、この中の洞窟まで入ったとのことである。

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この先の右手の平らな部分が千畳敷辺りだ。

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強い雨が来る前に展望台を後にする。ずぶ濡れになる前にバス停に戻ることにした。

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白浜空港行リムジンバスが丁度三段壁バス停に止まった頃、雲行きが怪しくなり、今にも雨がやって来そうな気配だ。バス停前の土産店の軒先を借りて、リュックを置いて急いで三段壁を見に行く。展望台には2‐3人の観光客がいるだけ。車で来れば簡単に来れる場所だが、若い人は観光よりも浜辺の方が良いのか・・。展望台から目の前の三段壁を見ていると、パラパラ雨が降って来た。8月の南方系の気象、雨は急にやってきて、暫くすると去っていく。二日前の串本漁港でも、那智の大滝でも突然のにわか雨に襲われた。写真を撮るのもそこそこに、急いでバス停まで戻る。

 

ここは源平合戦の頃、源氏に味方した熊野水軍がこの複雑な地形を利用して戦さ船を隔した場所であり、展望台の手前には30数m下の水面まで降りるエレベーターもあるのだが、このコロナ禍で観光客も少なく、今は営業していない。以前ゴンタさんはツアーでこの場所にやってきて、そのエレベーターに乗って、洞窟まで入って行ったようだが、熊野水軍の巧みな戦いぶりをどう見たか・・。西海の海に強い平氏を壇ノ浦、屋島、早鞆と追い落とした原動力になった海の猛者ではあったが、戦国時代にはこの辺りは九鬼水軍が支配する処となり、西海の勇者毛利水軍を大阪湾上で蹴散らしたこともあった。田辺、白浜、この周辺の複雑な地形は彼等に取って格好の隠れ場であったと同時に、攻撃の前線基地でもあった。

 

駆け足でバス停前の土産店まで戻り、何かお土産をと物色したが、海産物専門の土産店で、明日後1日和歌山市内を観光する身としては、買うのは躊躇し、店主にはお礼だけ言って、次に来たバスに乗って、田辺駅に向かった。途中白浜ビーチを通るころには雨も上がり、浜辺には又沢山の人が出ていて、更にその先、とれとれ市場の大きな駐車場も出入りの車で賑わっていた。ここで土産の海産物を買って、高速でひとっ走り、関西方面の自宅に戻るのだろう。バスは一旦白浜郊外の丘の上の見晴らしの良い場所に立っている県立病院に立ち寄り、何人かの客を乗せ、白浜駅経由紀伊田辺駅に着いた。今晩の宿は駅から徒歩1分、田辺ステーションホテルで、近くて便利な場所にあった。

 

雨に濡れる前にバス停に急いだ。

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バスは白浜駅経由、田辺に向かった。白浜駅前。

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田辺駅前。

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今日の泊まり、田辺ステーションホテルにチェックイン。

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