熊野古道の案内板を読むのは、一休みになって丁度良い。
藤白神社ももう間もなく先だ。
熊野古道の古い石の道標なども立っている。
熊野古道も今はコンクリ道になっていて、道路沿いの家もモダンだ。沖縄で咲くユウナの花も咲いている。
普通の歩行なら駅からは15分程度で来れる藤白神社も足の衰えた自分の歩行ではその倍もかかってしまう。紀勢線高架下の藤白小学校までに既に倍以上の20分はかかった。途中に休憩する場所もなく、立ち休みで足の疲労を和らげるが、それでも痛みは取れず、他人の家の縁石などを見つけては一休みししながら、熊野古道に入って来た。小学校からはほんの少しの登り坂になっているが、この緩やかな坂道を登って行くだけでも今の自分には大変だ。
住宅地の中を走っている熊野古道は、昔風の土道ではなく簡易舗装のコンクリ道になっているが、所々にある案内板や道標などによって、当時の古道のよすがにはなる。立ち止まってそうした案内板を読むことは足の休息にもなり、一石二鳥だ。道路に沿って住宅が並んでいる。皆今様のモダンな建物で、古びた古風な民家は見当たらない。多分戦後になってから海南市の郊外型住宅地として開発されたのだろう。土地は高台にあって、ここからの眼下に広がる街並みやその先の海の眺めは中々良い。平安時代の昔には、海が直ぐこの下の坂下まで押し寄せていたに違いない。
通りの中程に住宅地図が掲示されている。苗字を見るとどこも普通にある名前で、特別珍しい、昔風の苗字は見当たらない。所謂新戸籍の名前だ。この中には鈴木さんの名前も無く、矢張り最近になって移り住んできた新家族なのだろう。家々は花壇で飾られ、プランターからこぼれる夏の花は目を楽しませてくれる。日本の中流世帯の優しい光景だ。日本人の所得が上がり、どんな地方に行ってもこうした穏やかな光景が見られるのは、日本人がいつの間にか、衣食住に困らない、総中流家庭が実現できている証だ。人々はどこに住んでいても、明日の食事には困らない、理想的な社会を享受しているように思えた。小学校からも倍の20分程を掛けてボチボチ歩いて行くと、前方に藤白神社の鳥居が見えてきた。
皆明日の生活には困らない、落ち着いた生活を享受しているようだ。
道路沿いの住宅表示。ポピュラーな一般的な苗字が多い。鈴木家は見当たらない。
どこも平和で豊かな住環境だ。
ああ、前方に藤白神社の鳥居が見えてきた。