下り降りたところに国道が走っていて、その横を小さな川が流れている。右側に建物は嘗ての旅館だ。
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ああ、これが万葉集にも出て来る初瀬川だ。川の両岸には旅館風の建物も見える。
赤い欄干の橋を渡った先が長谷寺の参道になる。
奈良へは何回か来ていて、この周辺にも来たことはあった。が、長谷寺は今日が初めてだ。以前来た時はレンタカーで、この長谷寺の先にある室生寺、女人高野の国宝の三重塔を見に行った。その時長谷街道を通って、山中に入って行ったので、この寺の前の街道を走った筈だが、当時は今ほどに宗教心もなく、長谷の長い回廊のことは知ってはいたが、何故か端折ってしまった。
女人高野は本当に山の中にある小さなお寺で、本堂の脇に立つ国宝の三重塔も小ぶりで、女人の名前に相応しかった。町から離れた場所にあり、参詣者も殆どいなかった。何年か前、台風の倒木で、この三重塔が大きな被害を受けたとニュースで知ったが、今はもう修復されているに違いない。
近鉄長谷寺駅は高台にあり、前の谷を越えて、反対側に長谷寺がある。谷の底を通っているのが長谷街道で、その谷を初瀬川が流れている。駅からはその谷底に向かって長い坂を下り降りる。下りきったところに国道が通っていて、それは昔の長谷街道が現代的に整備されたものに他ならないが、奈良の桜井から三重の名張を結ぶ重要な国道になっていて、交通量も多い。
国道に沿って小川が流れている。河底に葦が生え、ていて、昔風の小川だ。ああ、これが初瀬川。長谷の初瀬。万葉の時代から詠われてきた小川だ。この川がずっと流れ下って、大和川になる。その途中には海石榴市(つばいち)もある。交易船は大和川を遡って、大和の三輪までやってきて、交易をした。大和まほろばの万葉の頃の話だ。
そんな小舟も通ったような川もこの辺りでは山の渓流で、せせらぎのような流れだ。その小川に赤い欄干がかかっていて、その橋を渡った先が長谷寺に向かう参道となっている。鉄道が出来る以前には、人々はこの参詣道を歩いて寺までやって来た。橋の袂にはもう今は使われていないような旅館が数軒建っていて、電車や車が無かった頃、人々は山道をここまでやってきて、漸く宿に入り、翌日の参詣に備えたのだ。
今は舗装されているが、嘗ての参道だ。
参道の両側には小さな路地もある。
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ああ、長谷の山上にある神社の遙拝所だ。