今回巡礼の残り2ケ寺、第六十四番前神寺にやってきた。
随分静かな寺だ。
この寺も又歴史と由緒の深い寺である。
正面が本堂。静寂な中に霊気が漂っているような感じだ。
吉祥寺での参詣を終え、次に石鎚神社の横にある前神寺に向かう。伊予一国霊場巡りもいよいよ残すところ2ケ寺。次の第六十四番前神寺はトリの寺となる。国道上の道路標識は大きく石鎚神社と出ており、その下に少し小さめの文字で前神寺と表示されている。この二つの神社仏閣は隣り合わせにあるようだ。国道の横に大きな鳥居が建っていて、その鳥居を潜って石鎚山に向かって進むと、正面の山裾に石鎚神社があり、前神寺はその左手の山裾に鎮座している。石鎚の山に囲まれた寺だけあって、今参詣を終わったばかりの吉祥寺と比べたら、数倍も広い境内を持っている。周囲に人家もなく、森閑とした寺だ。
駐車場からは厳かな雰囲気の山道入り口を真っすぐ進み、十数段の石段を上った正面にガチっとした佇まいのお寺が鎮座していた。神の前の寺。神は当然ながら石鎚山本体であり、この寺は古来から石鎚山修験道の根本道場で、寺自体は真言宗石鉄(いしづち)派の総本山となっている。他の霊場と同様にこの寺も由緒と歴史も古く、創建は天武天皇時代の役行者と言われ、行者が石鎚山で修業を積んだ後、釈迦如来と阿弥陀如来が石鉄山大権現となって表れたのを感得し、尊像を彫ってこの地に安置したのが始まりと言われている。その後、桓武天皇より勅願寺「金色院・前神寺」の称号を賜り、以後多くの天皇の信仰を集めていた。江戸時代には西条藩主松平家の祈願所ともなり、三つ葉葵の寺紋を下賜されることとなった。
以上のように長い歴史と伝統を持っていたお寺だが、明治の廃仏毀釈、神仏分離令で寺領を没収され、一時は廃寺にもなったが、漸く明治22年に復活し、現在に至っている。吉祥寺ではちらほら見えた巡礼者や参詣者も、何故かこの寺は無人に近い静寂が漂っていて、参詣者はどこへ消えてしまったのかと訝しむ。静寂は確かに精神を引き締める。一時は廃寺となって荒廃したかも知れないこの寺も、千数百年も続いた修験道の気は一朝一夕に消え去るものではなく、そうした霊気は今なおこの寺に満ちているかの如くだった。
お昼は既に過ぎていたが、残りは1ケ寺だ。昼食前に最後の霊場三角寺を参拝し、今日の巡礼を終了しよう。
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奥の院に向かう参道。
静かな境内に参詣者の姿も見えない。
薬師堂か・・。
大師堂。
これは又大きな宿坊だ。