同じ棚段上の100m程先に大師堂がある.
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納経所は一段下の棚段に宿坊を兼ねて建てられている。
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納経所は一段下の段上に在る
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四国霊場第六十番横峯寺は標高745m、石鎚山の中腹に建立されている。四国霊場の中では雲辺寺に次いで高い場所にある。石鎚山自体は標高1982mで、四国はもとより、大阪以西、西日本で一番高い山である。先のしまなみ海道の所で思い出したが、この山は今から17年前、2003年の3月に鳥取に住む山の知人と岡山空港で待ち合わせ、彼の運転でこの山を挑戦した。ロープウェイ山頂駅にある成就院で1泊し、翌朝登頂を開始したのだが、8合目から上はかなりの積雪になっていて、急な斜面はアイスバーン状態。9合目付近で当方滑落し、約100m程を滑り落ち、途中の灌木に引っ掛かって、漸く止ることができたが、その時はケガもなく、ピッケルで漸く元の山道に戻ることができたが、その後の登山は心配になり、中止した。石鎚山はそうした苦い思い出のある山である。
横峰寺駐車場からそんな過去の苦い経験を思い出しながらやってきた。先日の岩屋寺同様、山中にあるお寺で、平地が少なく、山の斜面を削って造成した棚田状の所に本堂、大師堂、庫裏等が建っている。正面奥の本堂にお参りし、そこから100mも離れている大師堂に参詣。納経所はその棚田から一段下の棚田に建てられていて、2階建ての大きな建物になっている。宿坊を兼ねた建物だ。この山中の寺に登って来る巡礼者に取っては観音様の救いに思えたに違いない。今は車とかロープウェイが整備されていて、宿坊に泊る人もいないか、少なっているに違いない。古風で大きな建物が崖上に建っていた。
この寺の創建は古く、山岳行者の役小角と伝えられる。石鎚山は古くから山岳信仰、山岳行者の山と言われてきた。最初に役行者がこの山にやってきて、山の中腹星が森で修業し、山頂付近に蔵王権現を体得し、石楠花に像を刻み、小堂を建てたのが始まりと言う。それからほぼ100年後、行基がやってきて、入山し、それから更に約100年後、弘法大師もやって来て、大日如来を刻んで本尊とし、堂宇を整備した。その後神仏分離等の変遷を経て、現在に至ってるが、ご本尊は変わらずに大日如来である。棚段の上からは眼下の素晴らしい景色が眺められた。この寺は役小角以来、石楠花が有名であるが、6月下旬の今日は、既に咲き終えたのか、石楠花の花は見られなかった。