ちゃおチャオブログ

日々の連続

西国巡礼・琵琶湖周遊の巡礼記(7)泉湧寺にお参りし、ホテルにチェックイン。

新熊野観音寺で御朱印を頂き、再び泉湧寺参道に戻ったら、時代祭りのような武者行列に会った。

 

  • 泉湧寺山門。四脚門になっている。この場所が御寺で一番高い場所になっている。前方奥に見えるのが本堂の屋根。

  • 山門を入った参道のい場所から下に見える本堂を眺める。先刻の氏子が集まって、話を聞いている。この坂道の往復が大変で、本堂まで行くのは止めた。

やって来た時と同じ参道を戻り、御寺の入り口近くにある即成院というお寺があった。那須与一の寺だ。

 

 

今熊野観音寺での御朱印を頂き、泉湧寺参道へ戻ると、先刻の葉神輿の行列は、今は時代祭りのような武者行列。それぞれ泉湧寺の本堂に向かって進んでいく。自分も皆の後に着いて行く。

久し振りに見る本堂。ここでは本堂とは呼ばずに仏殿と呼ばれているが、坂の上からのこの情景にはかすかな記憶が残っている。それは本堂(仏殿)が参道を下った場所にあり、地下に向かって下って行く感覚だったのだ。この寺は不思議な構造で、山門が寺で一番高い場所にあり、境内に入るにつれ、段々と下って行く建物配置になっている。何かイザナギ伊弉諾)がイザナミ伊邪那美)を追いかけて黄泉の国の地下へ向かって下って行くような感覚だ。

各地の寺の中で本堂は最も重要な建物で、基壇などを作って一段高い場所に造営されているのが常だが、この御寺は全く逆で、一番低い場所に建っている。自分もあちこちの寺社仏閣を見て回ったが、こんな伽藍配置のお寺を見たことはかってなかった。

真言宗総本山「御寺泉湧寺」。この寺だけに「御寺」の敬称が付いているのは、この寺が天皇家との所縁が深い点にあるからだ。室町時代以来、何人かの天皇がここで荼毘に付され、又、御陵もある。先刻の新熊野観音寺の手前の谷川を進んだ先の方に陵墓などがあるが、足が悪くそこまで行くのは止めて置いた。そこはこの御寺の丁度裏側の山裾に当たる場所だ。

今、山門を入った所の髙い場所から下に見える本堂を見ている。本堂の前には先刻の氏子が神輿を下ろし、集団で誰か、お頭の話を聞いている。正に神仏習合。仏と神が合わさった合体の理念だ。皇族を祀る「御寺」なればのことか・・。本堂までの下り坂は凡そ200m程はある。傾斜は緩いのだが、下まで行って戻って来るのも大変だ。それにこれから又東福寺駅まで歩いて戻らなければならない。本堂へはここで手を合わせ、踵を返して駅に戻ることにした。

JR奈良線で京都駅に戻り、そこで近鉄に乗り換え一駅、東寺駅で下車し、駅のほぼ向かいにある今晩のホテル、コンフォートにチェックインした。コンフォートは前回、奈良駅前で泊ったのに続き2回目だ。ロケーションも環境も悪くはないホテルだ。しかも朝食も付く。

 

  • どこか休む場所はないかと境内に入る。那須与一の像は見当たらない。

     

    どこかに与一の像があるかも知れないが、探すのも面倒だ。


    この辺りは東山の山懐に当たり,谷も結構深い。


    京都駅で乗り換え、東寺駅前のコンフォートにチェックインした。