泉湧寺参道を少し進むと左に下る枝道が見える。新熊野観音寺へ向かう参道だ。

人も絶え、何か深山に入り込んだ感じのお寺だ。

渓流に架かる赤い橋を渡ると、もう新熊野観音寺の境内だ。車での参詣者が多く、前方の駐車場にはかなりの車が止まっている。

正面に本堂が見える。弘法大師が彫った十一面観音菩薩がご本尊だ。

「御寺」泉湧寺はは以前一度来たことはあったが、その時は東福寺の方からやってきて、正面の大門を通って入寺した。今日は泉湧寺通りを歩いて、西門からやってきたので初めて歩く参道だ。緑が深く、「御寺」に相応しい奥ゆかしさ。町の神輿担ぎのお祭りの後を付けて寺までやってきたのはラッキーだった。
西国観音霊場第15番新那智山今熊野観音寺は泉湧寺とは隣り合わせのお寺で、これ等深い木立は泉湧寺と共有している。砂利道の参道を泉湧寺本坊に向かって進んで行くと、左手に観音寺に向かう参道が枝分かれしている。祭りの行列はまだ先の泉湧寺へ向かって進んでいるが、自分の目的は巡礼だ。泉湧寺は後回しにして左手の山道に進むと、木立は一層深くなる。自然の森林の中を歩いている感じだ。
渓谷を流れるような谷川、ほぼ渓流に架かる赤い橋を渡るとそこはもう観音寺の境内だ。静まり返った参道とは言え、観音霊場の有名なお寺だ。車でやって来た人や、境内を散策する人の姿も見える。左手に大きな3階建ての建物があり、そこは大講堂で、その一段上に本堂がある。その前に弘法大師の子護(こまもり)大師の銅像が立っている。ここは弘法大師に所縁の深い寺で、大師が唐から帰国し、東寺で修業していた時、この山に瑞雲が現れ、ここに一宇を構え、観音を祀れと言われた。そこで大師は自ら十一面観音菩薩を掘られ、ここに一堂を開山したのがこの寺の由来である。
西国観音霊場巡りを復活させた後白河法皇とも縁の深いお寺で、法王もこの寺の近くに住んでいた。名前の「新那智山」、「今熊野観音寺」は、熊野信仰との強い結びつきを感じさせる。本堂の十一面観世音菩薩にお参りし、御朱印を頂き、御知水を口に含み、下山することにした。泉湧寺参道本道に戻るとまだ何人かの祭りの参加者が泉湧寺本堂に向かって歩いて行く。再び後を付いて、本堂に向かった。
本堂の前には子護大師の銅像が立っている。

この深い森の中に西国三十三霊場の石仏や医聖堂が建立されている。

本堂の奥の山中に三重塔も見えるが、とても登っては行けない。

再び泉湧寺参道に戻ると、仮装行列がまだ行進していた。
