ちゃおチャオブログ

日々の連続

西国観音まほろば奈良の巡礼記(16)番外札所・法起院参拝後、奈良駅前のホテルにチェクイン。

長谷寺参拝後、徳道上人の菩提寺法起院にお参りする。

 

法起院長谷寺の参道の直ぐ横にあり、西国霊場番外札所になっている。

 

こじんまりした境内で、庵を大きくしたようなお寺だ。

 

徳道上人の御廟所、本堂の後ろには十三重の石塔が建っている。

 

 

西国観音霊場には33ケ寺の観音霊場にプラスして3か所の番外札所がある。その中で一番有名な寺は、この観音霊場を整備した花山上皇菩提寺となっている兵庫県三田市にある花山院。次にこれから参拝に向かう法起院で、ここは長谷寺を開創した徳道上人が晩年を過ごし、御廟所ともなっている。もう一つは京都山科にある元慶寺で、この寺は桓武天皇の孫が開創した寺ではあるが、19歳の花山天皇が出家得度した寺となっている。

 

天皇は朝廷内の政争に明け暮れしている毎日に見切りを付けて、僅かに19歳で退位して上皇になり、その後、41歳で崩御するまでの20数年、西国の観音霊場を経巡った。その花山上皇よりも遡ること270年ほど前に徳道上人はこの寺で閻魔大王から三十三所観音霊場の法印を授かり、第24番札所中山寺に埋納したと言われている。

 

法起院長谷寺参道の直ぐ横にあり、先刻長谷寺参詣の途中にその入り口だけを見て先に進んだが、今長谷寺を下山し改めて参内する。路地のような引き込み道を進み境内に入ると、こじんまりとしたお寺で、親しみの持てるお寺だ。町の中にあるお寺、庵を少しばかり格式を持たお寺といった感じだ。正面の本堂にお参りし、その右横の事務所の窓口で番外札所の御朱印を頂く。今度鎌倉の長谷寺に行くことがあれば、この寺の事を思い起こそう。

 

本堂の後ろの墓地に徳道上人の御廟所、大きな十三重の石塔が建っている。今から1300年の前の天平の時代、徳道上人はこの寺に住し、没した。閻魔大王から授けられた三十三観音霊場の法印を頂き、死んで行った。それから270年後、花山上皇がその法印を中山寺から掘り出し、今ある西国観音霊場を再開させ、今に至っている。今令和の時代、自分もこうして西国霊場巡りを繰り返している。時代は流れ、信仰は脈々と受け継がれている。その基礎を作った上人の菩提寺だ。

 

参道の途中に長谷寺郵便局があり、弘法大師生誕1250年の記念切手が売られていたので、1シート孫に買って帰る。

 

長谷寺参道。後ろの山は初瀬の山だ。

 

近鉄長谷寺駅からは桜井駅でJRに乗り替え、奈良駅前のコンフォートホテルにチェックイン。

 

まあまあのホテルだ。