ちゃおチャオブログ

日々の連続

第2回西国観音霊場大阪編(8)総持寺は調理師さんのお寺。

本堂にお参りし、境内を散策することにした。

 

大師堂も見える。

 

手入れの行き届いた境内だ。

 

奥に庖丁塚もある。

 

 

ここへ来るまで総持寺は横浜鶴見にある大本山総持寺と関係するお寺かと思っていた。鶴見の曹洞宗とは全く関係はなかったが、由緒、歴史はそこよりも余程か古い。何分、平安時代中期の創建で、鎌倉時代に入ってから立宗された曹洞宗よりも先にこの寺は創建されていたのだ。ましてや鶴見の大本山は、以前あった能登大本山が火災で焼失し、大正時代に現在地に移転したのだ。歴史的には比較にならない程である。

 

西国観音霊場でこの寺がユニークなのは、その創建主にある。通常お寺は仏教者、髙僧によって創建されているが、ここ総持寺は古式調理の料理人、藤原山蔭によって創建されたのだ。過去四国霊場、それにこの西国霊場も既に10数ケ寺順拝しているが、この様な専門職業人の寺の創建はどこにもなかった。そうした調理人創建のお寺がどうして観音霊場三十三ケ寺の一つに選ばれたのかは、自分にはよく分からないが、三十三ケ寺を選択した花山上皇が彼の料理法を気に入っていたのかも知れない。ちなみに山蔭は上皇の100年程前の人である。

 

箸と包丁だけで調理する山蔭流は全国の調理人から崇拝されているのか、ここには包丁塚などもあって、以前、どこかのお寺で見た筆塚、針塚、同様に、使い古された包丁が感謝の意を込めて奉納されていた。境内の横に長方形の建物があるが、これは時々テレビ等で放映される山蔭流調理実演の際に映し出される建物に違いない。見覚えのある建物だ。魚に一指も触れずに魚を上手に捌く。何と手間のかかる調理法かと思っていたが、それを一つの芸道にまで高めた山蔭。その技芸が現代にまで綿々と引き継がれている。これも一つの日本道の一つなのだ。最初境内に入った時は、余り変哲もないような印象を受けたが、境内を歩き、新たな発見をした。

 

神仏混交、神社の鳥居も建っている。

 

ああ、この建物は時々テレビ等で見る山蔭流庖丁式に映される建物だ。

 

総持寺を辞去する。

 

石段ではなく、スロープ道も付けてある。