ちゃおチャオブログ

日々の連続

第2回西国観音霊場大阪編(7)第二十二番補陀落山総持寺に参拝。

さて、これから本堂への参拝に向かう。

 

流石、豊臣秀頼の再建になった本堂だ。

 

仁王門の正面に立派な本堂が鎮座している。

 

音霊場巡りの団参もいる。

 

 

総持寺はお寺の中のお寺という意味だろう。この名前のお寺は全国に数カ所あり、その内自分は横浜鶴見にある曹洞宗大本山能登の輪島にある祖院とを参拝した。ここ大阪茨木にある寺は宗派は真言宗高野山派で、曹洞宗とは全く別の系統のお寺だ。鶴見や輪島にあるような総本山、別格本山のような大きなお寺ではないが、歴史は古い。

 

寺の創建は9世紀後半と、歴史は古いが寺の全体の感じは新しい印象だ。と言うのもこの寺も戦国末期の織田信長の焼き討ちにあって、一時は灰燼となったものだが、本堂、山門等は豊臣の代になって秀頼によって再建された。以前は広大な寺領を持っていたが、衰退し、今はこの本堂の部分と、少し離れた先に奥の院を有しているだけとなった。

 

仁王門を入った正面に本堂が堂々と座っている。境内はそれ程広くはないが、さっぱりした感じだ。古い古木が植えてないからかも知れない。町中に近いお寺で好天の土曜日、ちらほらと参詣者も見える。巡礼グループも熱心にお参りしている。真っすぐ本堂に向かい、巡礼団の納経が終わるのを待って、お経をあげる。普段着の高齢者が般若心経を上げているのに、巡礼団も少し驚いているようだ。まあ、形式はどうでもよいでしょう。

 

御朱印を頂き、改めて境内を見渡す。この寺の創建は僧侶ではなく、平安時代の調理人、藤原中納言山蔭が開いた、珍しい来歴だ。山蔭は包丁の名手で、宮中料理の庖丁道を整えた人で、山蔭流庖丁式の祖だ。時々新年などにテレビで報道される調理法で、食材の魚には手を触れず、包丁と箸のみで捌く、古風な調理法だ。今でも料理人の参詣が絶えず、境内のどこかには包丁塚もあるという。

 

ここのご本尊は千手観音だ。

 

納経を終え、本堂から仁王門を眺める。

 

大師堂も見える。

 

賓頭盧(びんずる)さんの頭と足を撫で、本堂を下りる。