ちゃおチャオブログ

日々の連続

第2回西国観音霊場大阪編(25)中山寺を下山し、伊丹空港へ。

中山寺本堂の前の長い石段。奥に五重塔が見える。

 

参道の先に山門が見える。

 

その途中に焼き煎餅の屋台が出ていて、お土産に2袋買っていく。

 

山門の仁王像。

 

 

若い頃だったら時間をギリギリまで使い、精一杯動き回ったのだが、今はもう足が萎えて、少しでも楽をしようと考える。中山観音駅から伊丹空港までは電車もほぼ直線で、蛍池空港線モノレールに乗り替えても1時間も掛からない。飛行機は夜7時半。今からだと3時間以上も時間がある。西国第24番の御朱印を頂いてから、ゆっくり空港に向かうことにした。

 

長い参道の途中に焼き菓子の屋台が出ている。このコロナ禍で客は少ない筈だが、高齢のオヤジがけなげに鉄板で煎餅を焼いている。食べろ、食べろ、と言われるので、煎餅の片割れを一口頂く。固いこと、固い事。そのまま咬んで食べたら歯が毀れそうな固さだ。オヤジも、咬まないで口の中で溶かして食べる様に食べ方まで教えてくれる。口の中に放り込んで舌で溶かしていると、甘みが出て来る。中々風味もあって、味も良い。小さな袋で500円、大袋で1000円。お土産に2袋買ってやる。袋を見ると津乃国屋の屋台のようだ。この場所の特権で江戸時代から参詣客に焼いていたのだろう。

 

聖徳太子創建と言われる由緒あるお寺。真言宗中山寺派大本山ともなっている。歴史は古いのだが、戦国時代、この地を治める荒木村重織田信長の戦いに巻き込まれ、全山が焼失した。その後、秀吉の祈願によって秀頼を授かり、又、幕末には中山一位局の安産祈願によって明治天皇を無事に出産した故事等によって、この寺は安産祈願の寺として全国的に有名になった。ブログの知人、ボヘミアンさんの母親もこの寺に帰依していて、何回も参詣に訪れているそうだ。

 

戦国時代に一度は灰燼に帰した堂宇もその後の秀頼の寄進、江戸時代に入ってからも家光の寄進等が続き、先刻見た五重塔や大願塔なども、戦後になってからのここ最近の再建だ。重文には指定されていないが、これ又3代将軍家光公によって再築された豪壮な山門を改めて眺め、長い参道の先の本堂と五重塔にお礼をし、この寺を後にした。

 

 

寺の重文などの案内が出ている。

 

重文の仁王像だ。戦禍で堂宇は灰燼に帰したが、こうした仏像、宝物は助け出された。

 

改めて本堂に謝し、寺を後にする。

 

後は一直線、伊丹空港だ。