竹生島。以前は竹で覆われていたが、今は雑木林になっている。
フェリーは島に近づき、速度を落とす。
琵琶湖渡海。国交省地理国土地理院の規定によれば、琵琶湖は湖沼ではなく、川に位置付けられている。大きくて太い川だ。琵琶湖を取り巻く河川、安曇川、余呉川、姉川、愛知川、等々、周辺の山々から流れ込む1級河川が四方八方から琵琶湖に集まり、それを合わせて瀬田川に集め、宇治川、淀川に流れ落として行く。琵琶湖は巨大な胃腸のようなもので、満パンに膨らんでいる。
25分の舟運は後部甲板の左右を往復している間に早くも終わりとなる。フェリーは島を左旋回するようにして、埠頭に近づく。無人島のような有人島のような・・、埠頭の先に何軒かの建物が見えるので、お寺関係か、土産物店か、何人かは住んでいるのだろう。
竹生島。名前の通り、この島は以前は竹で覆われていた。竹藪の島だったのだ。何時の頃からか島の植生が変り、今は竹は消えてしまって、雑木林の島になっている。この島の観音霊場、宝厳寺は奈良時代の聖武天皇の頃、創建されたので、その頃から既に僧侶を含め、何人かの住民は住んでいただろう。謡曲、「竹生島」にある通り、スナどり、漁師も住んでいたかも知れない。謡曲が出来た頃は竹もまだ密生していたかも知れない。
フェリーは速度を落とし、桟橋に接岸する。大袈裟な表現で言えば、未知の島への上陸だ。中学生の頃、遠い親戚のおじさんから読曲「竹生島」を教わった。そのおじさんは義弘さんと言って、何かの都合で自分の伊豆の実家に逗留していた。優しいおじさんで、和紙に糸で綴じられた謡曲本を手に取って、細かい抑揚を何回となく教えてくれた。北陸の有力戦国大名の家系を継ぐもので、二人の兄弟ともに名前に義の字が使われていた。フェリーから降り、桟橋を進んでお寺に向かっている時、その謡曲を思い出した。曲はもう殆ど忘れてしまったが・・。
速度を落とし、桟橋に近づく。
竹生島。初上陸だ。
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久し振りに記念写真を撮ってもらう。