ちゃおチャオブログ

日々の連続

中国・歴史の旅(62)唐三彩と共産中国の大発展。

洛陽の郊外、洛河の南には今新市街が猛烈な勢いで建設されている。
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これ等高層マンションは皆市民の生活レベルの向上に寄与している。
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国家、地方の行政当局者を問わず、果断な政策、実行力には感服せざるを得ない。
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中国はこれまでに目覚ましい発展を遂げて来たし、この先もその歯車は止まらない。
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これから広大な川、洛河を渡る。
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黄河に注ぐこの支流ですら、信濃川よりも大きい。
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区画整理された道路の道幅も広いし、河川の公園も整備されている。
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歴史にイフはないので、60数年前もしも共産革命が起きずに、旧態依然の国民党政権のままだったら、現在の共産中国はどうなっているかを論じるのは意味はないことかも知れない。しかし歴史の想像をすることは可能だろう。共産党一党独裁により、従来の軍閥寄合政治から、当時の8億、9億の民を一つにまとめ、国土建設、人民福祉、経済発展に邁進していった共産党政治は正当に評価されなければならない。

蒋介石一派による国民党支配が続いていれば、地方の軍閥が跋扈するバラバラの国になっていたか、今の北朝鮮のようなスパイ国家、閉塞国家になっていたかも知れない。現在の台湾の発展を指摘する人もいるかも知れないが、僅かに2000万人の国民を束ねる力と、10億の民を同一方向に動かして行く原動力との大きな違いは、同一レベルでの比較にはならないものである。

バスは広大な畑地を通り抜け、今漸く洛陽の郊外に差し掛かった。洛陽に行ったことのない日本人の頭の中には、洛陽は隋の都で、その後、都が唐の長安に移ってからは、打ち捨てられた過去の都、寂れた町に違いない、と想像している人が多いだろう。果たして自分もこの街にやってくるまで、そうした日本人の一人であった。が、来て見て驚いたのは、この街が人口700万人を擁する大都市で、中国4大古都の一つとして、今もなお発展し続けている、という事実だった。

今走っている郊外の道路際には、高層ビルが続々建設されている。中国の経済発展は僅かにここ20年のことだ。日本が失われた20年の間、中国の目覚ましい経済発展は、GNP規模で言えば、10分の一のレベルから、去年は既に日本を追い越した。更にこの先10数年後には米国の規模も追い抜き、世界一の経済大国になるだろう。日本人の所得が年々下がり続け、生活の余裕度が失われていくのに対し、中国人は年々豊かになって行き、こうした高層マンションの日本よりも広い部屋で、日本人よりも豊かな市民生活を送るようになった。

Negative Campaignに毒された日本人の目には、こうした中国の伸長は目に写らない。行政の力が国民生活をどのように向上させるかは、この20年間の日中を比較すれば、一目瞭然であるが、共産主義共産党は悪だと決めつけている日本人の目には、正しい評価がなされない。今の中国は共産主義は名目上のことで、実態は世界第二の経済大国であるということが、共産毛嫌いの日本人の目には見えてこない。行政の長たる政治家の中にもこうした開き目クラがいるかと思うと、情けなくなるのは自分一人だけではないだろう。

こうして黄河に通じる洛河の南に発展している新市街を通り抜け、バスは唐三彩の土産物店に横付けした。中国の国内ツアーに参加したのは今回が初めてだったが、中国でもこうした買い物ツアーが行われているのだ。そう言えば、ベトナムフエの市内観光の時にも同様のショッピングがあった。オーストラリアやインドネシア・バリ島のツアーではなかったので、こうしたショッピングは、中国系の商魂逞しい民族の専売特許かも知れない。

唐三彩。これも又洛陽の誇る伝統品だ。実は、洛陽は都が長安に移ってからも唐の副都として栄え、この街の牡丹と唐三彩は、中国人の愛しみの対照だったのだ。当方も記念唐三彩の小さな馬の置物を土産として買い、1500年の古都の思い出とした。
 
 
 
 
跨線橋を通過する。中国の主要道路では、今や踏切はどこにもない。
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洛河の北側でもこの辺りは再開発されて道路も広く整然としている。
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漸く唐三彩民芸館に到着した。
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店内には多くの焼き物が展示されていた。
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中国人観光客もこうした場所は高いと知っているのか、余りかう人はいない。
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ここでは日本語で話しかけてくる店員もおらず、ゆっくり眺められた。
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お土産に小さな馬の置物を一つ買う。
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洛陽の焼き物も景徳鎮に劣らず見事だ。
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