ちゃおチャオブログ

日々の連続

ラオス北部紀行(44)ジャール平原「第一サイト」の風景。

今まで勘違いしていたが、これから第1サイトの丘に登る。
 
 
 
丘の上の石棺が見えてきた。
 
 
 
丘に上には大きな石棺がごろごろしてた。
 
 
 
ああ、遠くに観光客もいる。
 
 
 
いやー、すごい数の石棺だ!
 
 
 
最初に見たのが第1だと思っていたが、最初のは第3サイトで、ここが第1サイトだったのだ。
 
 
 
丘の上からは果てしない数の石棺が見えている。
 
 
 
 
 
今日3番目にやってきたジャール平原の石棺のサイト。今まで順番に第1、第2、第3の順に回って来たと思っていたが、この光景を見て、今までの自分が間違っていたことに気が付いた。今まで見てきた二つのサイトを遥かに凌ぐ広大な面積に、今までの何十倍も多い石棺が、見渡す限り広がっている。この光景! ここが第1サイトじゃないか!

案内人のドライバーに改めて聞くと、最初に訪問したのが第3サイトで、次が第2、ここが正しく第1サイトである、とのこと。行き易さの関係で、逆順で回って来たとのことである。うーん、それにしてもこの甚だしい量は何だ! これだけ多くの権力者、金持ちが居たということか?? いや、普通の庶民すらもお金をはたき、遠い石切り場から石を運び、自身の石棺を作り、最後はその中に納まって黄泉の国、彼等にとっては死後の楽園、天上世界に旅立って行ったというのか・・。

本州の最北、下北半島の更にその奥に恐山という山がある。その山頂に常楽寺という寺があり、殆ど1年の半分は雪で閉ざされている。その常楽寺の境内には数多の墓石が半ば倒れ掛かったりして広がっている。夏になると誰が捧げたのか、時折、風車が音もなく回っている。人々は死後の平安を願い、当時とあってすれば本州の最果てのこの地に魂が宿ると信じ、供養塔を立てたのか・・。いや、そんな遠くまで行かなくても良い。京都のあだし野へ行けば、びっしり詰まった墓石を見て、人々の死後の世界に対する願いを垣間見ることもできるだろう。1500年前のラオス人と近現代の日本人。死後への願望はさして変わるものではなかった。

1500年前の日本と言えば、飛鳥時代。回りに山で囲まれたこの地形はどことなく奈良盆地に似ている。その明日香村の丘陵地帯の緩やかな斜面に石舞台がポツンと一つだけ残されている。蘇我の馬子の石室跡だ。昔はこの石の上に土が被され、小山のようになっていた、と言われるが、今はその覆いの土はすべて流され、花崗岩の巨大な石組が斜面に横たわっているだけである。昔で言えば、石は現代のコンクリート。千年経っても風化もせずにそこに残っている。中の遺体、遺骨はとうに消え失せてはいるが、その魂を納めた石の部屋は今でもそこに残されている。石造りの頑丈な個室、部屋に納まり、魂の千年の安楽を願ったのだろうか・・。ジャール平原の広大な原野に転がる石棺の数々を眺め、遠く飛鳥を想い、石舞台に思いを馳せた。
 
 
 
 
うーん、ここにはどれだけの数の石棺があるのだろう・・
 
 
 
半ば草に埋もれた石棺。
 
 
 
どれだけの人々がこの地に葬られたのだろう・・。
 
 
 
静寂な空気が流れる。
 
 
 
うーん、圧倒的な光景を見せられた・・
 
 
 
高原に咲く花は日本の夏の花と変わらない。これは男郎花?
 
 
 
ああ、これも日本で見られる花だ。