ちゃおチャオブログ

日々の連続

ラオス北部紀行(43)ジャール平原の村落の風景。

ムアンクーンの郊外には段々畑が広がっている。
 
 
 
郊外にある幾つかの集落では、田畑でボール投げ遊びが行われている。
 
 
 
単純だが、微笑ましい光景だ。
 
 
 
集落を過ぎると田畑が広がる。
 
 
 
この段々畑は日本の光景と変わらない。
 
 
 
 
 
今は貧しい寒村となっているが、元の県都「ムアンクーン」の仏像と仏塔、この二つの遺跡を見て、これから最後のサイトへ向かうことにする。その途中、再びジャール平原の田舎道を走っていくが、この風景はどこから見ても日本の田舎の景色と変わらない。むしろタイの田舎よりも日本の田舎に近い感じだ。それはだだっ広い平野の中にあるタイの田んぼよりも、周辺が山に囲まれた段々畑のこの土地の方が、より日本に近い地形、形状をしているからかも知れない。

実に田んぼの作り方、山の傾斜を利用しての段々畑。この景色を見て、ここが東北地方の盆地の中だったり、中国山地の山の中の集落だったり、或は奈良盆地のどこか、と錯覚してしまう。日本の稲作は、普通言われているのは弥生時代に中国江南地方から移入された、とされているが、その江南地方の更に先は、こうしたラオス等の東南アジアを源流にしているのではないだろうか。田んぼの作り方は日本と全く変わらない。

ムアンクーンの町外れの小集落では先刻見たような小さなグループのボール投げ遊びがあちこちで行われている。飽きもせず単純な遊びを繰り返しているが、やっている人間はチェンジしているのかも知れない。1日中ボール投げをしていたら、誰だって飽きてしまう。そうした郊外の小集落を通り抜けると、本当の農地、殆ど人家はなく、畑や田んぼの広がっている耕地に出る。日本の田舎と余りにも似た光景に出くわし、バイクを止めて暫らく見入る。遠くで煙が棚引いている。畑焼の煙ではなく、もみ殻か何かの雑草を野焼きしているのだろう。山の形容を見ていると、何故か遠い飛鳥時代奈良盆地を見ているようだった。ジャールの石棺が飛鳥の石舞台を想起させたのかも知れないが・・。
 
 
 
 
廻りを山に囲まれた盆地。穏やかな光景は日本そっくりだ。
 
 
 
ああ、遠くで野焼きの煙が棚引いている。
 
 
 
これは日本の秋の光景だ。
 
 
 
遠くに農家が見えたりして、日本のどこかを旅行しているような感じだ。
 
 
 
走り始めて約30分、最後のサイトへやってきた。