ちゃおチャオブログ

日々の連続

ラオス北部紀行(50)ルアンプラバンへ。

今朝も又街中を托鉢僧が歩いている。
 
 
 
彼等はこうして毎朝托鉢して歩いているのだ。
 
 
 
 朝食に昨日の店に来た。ああ、奥さん、いや、お上さん朝は随分と忙しそうだ。
 
 
 
 
今朝も又川口の男性と一緒に朝飯を食べる。
 
 
 
この町とも今日でさよならだ・・・
 
 
 
さて、朝食を終え、お上さんに挨拶し、歩いて数分のバスターミナルに来た。
 
 
 
今日はこれからこのマイクロバスで一昨日の山を越えてルアンプラバンへ行くのだ。
 
 
 
 
 
ジャール平原、ポーンサワンでの楽しい二日間は終わった。ここから先、ベトナムへ向かうか、それとも中国へ向かうか決めていなかったが、ベトナムは成田からも直行便が出ていて、いつでも行くことができる。中国雲南省は、かなり辺境の地で、上海経由でもかなり時間と費用がかかるだろう。よし、ここまで来たのなら雲南省へ行ってみよう。ということで、今朝はその初段階、最初のステップとして、雲南に近いルアンプラバンへ行くことにした。

朝9時、バスターミナルからの出発だ。今日も又8時間の山越えのバスツアーが待っている。朝は出発までに少し時間があったので、ホテルの向いの例の奥さんの店に行き、朝食を食べる。今日でお別れだ。最後の挨拶をして行こう。店に行ったところが忙しそうにしている。朝のラッシュアワーだ。お客が引っ切り無しやってきて、サイトウン(ไส้ ถุง)、ビニールパックに料理を入れて持ち帰っていく。店で食べる人は少ない。家へ持ち帰って、家族で食べるのだろうか。

店の入口の料理ナベの蓋を開けて、今朝は何を食べようかと、思案して丁度その時、昨日の川口の男性がやってきて、一緒に食べることにする。店の奥さんは忙しそうにしていて、話し掛けるのは可哀想だ。食堂の奥の薄暗い所に、70過ぎのお婆さんが椅子に座ってぼんやりしている。お上さんの母親だ。昨夜、冷蔵庫からビールを取り出した時に、少し話をしている。今日がこの町の最後で、これからマイクロでルアンプラバンへ行く旨を話す。自分のタイ語がどこまで通じたか分からないが、お婆さんもわあわあ言って、残念がっている様子だ。皆良い人達だ。奥さん、いや、お上さんにもさようなら(พบกันใหม่นะ・ポップカンマイナ)を言って、リュックを背負い、バスターミナルに向かった。

マイクロバスは来た時と同じような10人乗り程度のトヨタの車で、ほぼ半数の7ー8人が集まった処で出発となった。来た時の道路を戻るように山に向かって進んで行く。来るときは長く感じだ平野部も、今朝はあっという間に過ぎ去って、早くも山中の道路に差し掛かる。新しくやってくる町への期待感と、既に見終わって、新鮮さが少し薄れた町を去る時の心の持ち方の違いかも知れない。1時間程走った所の山中で、マイクロは突然停車する。最初のトイレ休憩だ。
 
 
 
 
凡そ9時に出発し、ほどなく山間部に入る。今日はあっという間に町を通り抜けた。
 
 
 
もう既に山に入った。
 
 
 
来た時も感じたが、すごい深い山だ。
 
 
 
ジャール平原はこうした高い山に囲まれた標高の高い盆地になっている。
 
 
 
辻政信がやって来た50年前には、こんな舗装道路もなく、どんな風にこんな奥地にまでやってきたのだろう・・
 
 
 
マイクロが山中で突然止まる。何のことかと思ったら、トイレストップだった。
 
 
 
さて10分のトイレ休みの後、出発!