ちゃおチャオブログ

日々の連続

ラオス北部紀行(94)ルアンナムター博物館。

ルアンナムターの大通りの中心近くには街の観光マップが掲げられていた。ああ、Museum,博物館もある。
 
 
 
この町には「ナムター川」初め、幾つかの川が流れている。これ等は全てメコンに注がれるのだ。
 
 
 
通りは整然としていて、計画都市のようだ。
 
 
 
公共の建物も十分な敷地を取っている。
 
 
 
ああ、ここが博物館だ。随分と大きな敷地の中にある。
 
 
 
ああ、中々立派な建物だ。
 
 
 
 
 
タイには確か8か所位の国立博物館があると思うが、ここラオスには何か所あるのかは知らない。先日訪問したルアンパバーンにもあったが(ラオス二番目の都市だからあるのは当然だが)、お正月の為か休館だった。ルアンパバーンには過去2回訪問しているが、2回とも見逃している。ルアンナムターの大通りを歩いていると観光マップが掲げられていて、見ると「MUSEUM」との表示がある。この町にも博物館があるのだ。市内をブラブラ歩いていても、余り見るものもない。ではその博物館へ行ってみることにしよう。

丁度その観光マップの立て看板の横にはレンタサイクルの店もある。平らな街だから自転車が丁度良い。ラオスでは自転車が重宝している。ビエンチャンでもルアンパバーンでも自転車を借りて、市内を走った。バイクではなく自転車好きの性格もラオス人と日本人は似ているのかも知れない。

通りを自転車で走っていて気がづくのは、この町の通りが碁盤の目のように整然と四角に区切られていることであり、如何にも計画都市と言った感じだ。幾つかある公共建物には、ベトナムの援助で建設されたとか、ラオスベトナムの両国旗を掲げたりしていて、この町はベトナム色が強く感じられた。ラオス内戦時、ベトナムの影響力が強く、現実にベトナム軍も進駐していたかも知れない。この時には通りを歩いていて気が付かなかったが、この街区は新たに建設された新市街で、旧市街はここから5キロ程南にあるとのことだった。

この新市街の少し北外れ、自分の今晩の宿からは街の中心の丁度反対側になるが、その一角に博物館はあった。ラオス風の破風を尖らせた特徴ある建物で、これも又ベトナムか中国か日本かどこかの援助で建てられたものだろうが、中々凝った建物だった。中の収蔵品は日本の地方の市か精々県レベルの内容ではあったが、色々、少数民族の武具、歌舞の衣装、仮面、等々中々楽しませてもらえた。しかしタイの地方の博物館でも感じたことだが、入館者が少ないということで、このルアンナムターの博物館も当方一人が貸し切り状態だった。

館内展示品にはラオス語で「ห้ามจับ」(ハームジャップ)、「触るな!」との注意書きはあるものの、撮影禁止の警告表示はなく、各種民芸品等を遠慮なく撮影させてもらった。こうした少数民族の歴史、生態、フィールドを一生かけて研究している学者もいるだろうが、興味尽きないものに違いない。
 
 
 
 
うーん、入り口の装飾も素晴らしい。さあ、中に入って見よう。
 
 
 
フォーマルの民族衣装だ。
 
 
 
この銅器は何だろう・・。こんな少数民族に鋳造技術があったのか??
 
 
 
流石、織物の国だけのことはある。
 
 
 
少数民族にも仏教は伝来していたのだ。
 
 
 
ラオス語で「ห้ามจับ」(ハームジャップ)、「จับ」(ジャップ)だから「手に持つ」のは禁止だが、「触ったりする」のは禁止ではないのか?? いずれにしても写真は問題ないようだ。
 
 
 
うーん、仮面だ。日本でも縄文遺跡から仮面が出ているようだが、仮面はどこからもたらされたのだろう・・