ちゃおチャオブログ

日々の連続

「サウダーデ」モラエスの愛した町(22)「眉山」大滝山の史跡、神武天皇像に拝礼し、下山する。

「温故知新」の石碑から更に上に登って行くと、車道に出て、その突当りには神武天皇像があった。
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ああ、八咫烏を従えた神武天皇だ。・・そうか、ここは日向から淡路島へ向かう途中の経由地だったのか??
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神武天皇像に拝礼し、下山する。ここは八坂神社。智の輪が見える。
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八坂神社を下り降りた所には春日神社ある。
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大滝山周辺の散策路。
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徳島市内から見える山は全体が一つで「眉山」と呼ばれているかと思っていたが、どうもそうではないようだ。先刻回った蜂須賀家墓所は「万年山」と呼ばれているし、今歩いてる「和田乃屋」の裏山は「大滝山」と呼ばれている。この「眉山」はこうした幾つかの連続する山が重なり合って、一つの「山」を形成しているようだ。しかし「大滝山」、山の名前には似つかわしくない小滝「白糸の滝」があったが、江戸時代の当時、花見遊山以外に差したる娯楽もなく、こうした小さな滝も人気の高い行楽地であったに違いない。そうした時代背景からすると、この山が大仰な「大滝山」と名付けられたのも理解できないことはない。

参道は「温故知新」の石碑のある場所までで、そこから先は杣道のような小道になって更に山の高見に続いている。このまま登り詰めて行けば、又再び眉山の山頂に行き着くのではないか、と思われたが、兎も角どこへ出るのか、先に向かう。と、突然又車道に出た。ああ、朝方の車道だ。朝はこの車道を横切って、雑木林の中に入り込み、山頂に直登したのだったが・・・。

どうしたものか思案していると、丁度そこに車道をジョギングしている人がいた。車でこの近くまでやって来て、どこかに車を止めて、排気ガスの全くないこの車道をジョギングしているようだった。街中は真夏の太陽だが、山中なら木陰もあって、さぞかし気持ち良いだろう。

今いる現在位置等々を尋ねると、この車道はもう少し先で行き止まりになり、そこには神武天皇の像が立っている。又、車道を少し戻った先の雑木林を下って行くと、八坂神社とか市街地に出られるとの説明であった。ああ、神武天皇像はこんな所にあったのか・・。早速行ってみよう。

車道をほんの200m程進むと行き止まりになり、周辺は公園風に整地されていて、その正面には黒々した大きな銅像が立っている。ああ、これだ神武天皇像だ。随分大きな台座の上に八咫烏(やたカラス)を従えた神武天皇が堂々と立っている。案内文を見ると、明治30年、日清戦争勝利を記念して、建てられたとのことである。神武天皇像があるのは日本には僅かに2か所。宮崎日向と、ここ眉山だ。どうしてこの場所、眉山が選ばれたかの説明はなかったが・・。

     < 炎天下 黒光りせり 神武像 >

     < 時超えて 威風堂々 神武像 >

朝方山頂近くで見た石畳の参道は、ここまで来ていたのだ。朝参道で目にした「皇儲」(こうちょ)。矢張りこの像が建設された当時、時の皇孫、昭和天皇が祖父の明治大帝の名代として、この地にやって来たのだ・・。ここ徳島眉山は皇室との何等かの繋がりがあるのだろうか・・。この先の剣山には、安徳天皇の宝剣が埋蔵されていると言われるし、古事記の国産みの記では、淡路島が最初に作られたと言う。

全く無人の公園で、一人神武天皇に対峙していると、その霊気に打たれそうな気もしてきて、早々にお参りし、八坂神社、春日神社を経由で下山した。



春日神社の前にある「銀竜水」。お殿様もここの水を汲んで使っていたそうだ。「和田乃屋」の「滝の焼き餅」もこの水が使われている。
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飲んでみると、さっぱりしたクセの無い味わいだ。
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「銀竜水」の謂れ。
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さて又町に戻ることにしよう。この寺、敬台寺は、初代藩主の正室、敬台院の菩提寺
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阿波踊り会館前のロータリーにあるモラエスレリーフ
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