8時発神戸行のバスへ乗るべく、7時半にホテルを出る。
東横インともこれでお別れだ。
銘酒「金陵」とも暫しの別れだ。
二日半のモラエスを尋ねる徳島への旅。十分とは言えないまでも収穫はあった。眉を描いたような山、眉山の山懐に部屋を借り、二人の妻に先立たれて後、「サウダーテ」、「孤愁」をかこちこの町で亡くなった。遺骨は故国ポルトガルに帰ることなく、眉山の麓、潮音寺墓地で、二人の妻と仲良く埋葬されている。死後、3人でパライソ、幸せ、屈託のないハレルヤの生活を送っているに違いない。幸せな75年の生涯だった。
この二日半にはモラエス以外にも数々の収穫があった。過去3回の訪問では、霊場周りと山登り、それと業務での訪問。今回ほどゆっくりと、思いのままに徳島の街を歩き回ったことはなかった。暗闇の中での阿波踊りの練習風景、眉山からの眺め、滝薬師・滝不動を経巡っての神武天皇像。それと城山。蜂須賀300年の歴史と低層に流れる文化のようなものも感じられた。
今回は行けなかったが、藍染の藍住町、うだつの町の脇町。そこも今は町村合併で美馬市となり、或はまた吉野川市となった川島町にはまだ吉野堰は残されているのか・・。川べりの川島城の石垣に座り眺めた吉野の激流。吉野の先の大歩危小歩危、更にはその先の大豊町。大杉を仰ぎ美空ひばりを想った。山下大将がこの町の出身とは後から知ったことだが・・。
モラエス同様、もう自分もいつの間にか過去に生きる人間になってしまった。僅か二日半であったが、既に深い愛着を覚える徳島の街から今朝は神戸に向かう。モラエスがマカオ副司令官からポルトガル領事として最初に赴任した町だ。港神戸。主要国は既に領事館を開設していて、ポルトガルは後発組だ。そのモラエスが神戸でおヨネさんと会い、生田神社で結婚式を挙げ、おヨネの死後、彼女の生地徳島に移り住んだ。深い「孤愁」を抱えて。
今日はそのモラエスの神戸での足跡を訪ね神戸に向かう。眉山下にある東横ホテルから駅まではシャトルの送迎サービスがある。8時のJRバスだ。約2時間で神戸三ノ宮に着く。本四架橋が出来てもう20年以上は経つだろう。便利になったものだ。
バスはほぼ6割の乗客を乗せ、定刻に徳島駅前を出る。市街地を通り抜け、大きな吉野川を渡り、鳴門に向かう。新潟万世橋で見る信濃川よりも更に幅広の吉野川。この川をこうして渡るのもこれで最後になるのだろうか・・。
この二日半にはモラエス以外にも数々の収穫があった。過去3回の訪問では、霊場周りと山登り、それと業務での訪問。今回ほどゆっくりと、思いのままに徳島の街を歩き回ったことはなかった。暗闇の中での阿波踊りの練習風景、眉山からの眺め、滝薬師・滝不動を経巡っての神武天皇像。それと城山。蜂須賀300年の歴史と低層に流れる文化のようなものも感じられた。
今回は行けなかったが、藍染の藍住町、うだつの町の脇町。そこも今は町村合併で美馬市となり、或はまた吉野川市となった川島町にはまだ吉野堰は残されているのか・・。川べりの川島城の石垣に座り眺めた吉野の激流。吉野の先の大歩危小歩危、更にはその先の大豊町。大杉を仰ぎ美空ひばりを想った。山下大将がこの町の出身とは後から知ったことだが・・。
モラエス同様、もう自分もいつの間にか過去に生きる人間になってしまった。僅か二日半であったが、既に深い愛着を覚える徳島の街から今朝は神戸に向かう。モラエスがマカオ副司令官からポルトガル領事として最初に赴任した町だ。港神戸。主要国は既に領事館を開設していて、ポルトガルは後発組だ。そのモラエスが神戸でおヨネさんと会い、生田神社で結婚式を挙げ、おヨネの死後、彼女の生地徳島に移り住んだ。深い「孤愁」を抱えて。
今日はそのモラエスの神戸での足跡を訪ね神戸に向かう。眉山下にある東横ホテルから駅まではシャトルの送迎サービスがある。8時のJRバスだ。約2時間で神戸三ノ宮に着く。本四架橋が出来てもう20年以上は経つだろう。便利になったものだ。
バスはほぼ6割の乗客を乗せ、定刻に徳島駅前を出る。市街地を通り抜け、大きな吉野川を渡り、鳴門に向かう。新潟万世橋で見る信濃川よりも更に幅広の吉野川。この川をこうして渡るのもこれで最後になるのだろうか・・。
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