ちゃおチャオブログ

日々の連続

イベリア周遊の旅(207・最終)イベリアの旅を終えて。

徳島市内、眉山麓の潮音寺には妻よねと妹の後妻小春の墓に囲まれて、モラエスの墓がある。
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眉山山頂からの徳島市内の眺め。こんもりした森が徳島城址。その奥に吉野川の大河も見える。
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およねとの最初の出会いの場、和田の屋の前の小滝。
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マカオ、モンテの城塞跡から眺めるマカオ市内。高層ビルはカジノビルだ。
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嘗てのマカオ大聖堂も今は正面のファサードを残すのみである。
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去年の2017年6月2日から15日までの約半月間、イベリア半島にあるポルトガル・スペインの2か国を周遊してきて、帰国後ほぼ1年をかけてその時の旅行記を綴った。合計頁数で206頁。各頁には大体10枚の現地写真が貼り付けてあるので、合計すると2000枚以上の写真を載せてあることになる。旅で見た様々な風景、事象、人々、景観などである。

元々今回の旅行は明治末から昭和の初めにかけて日本で生きたポルトガル人作家、モラエスの足跡を辿る一環として計画されたもので、彼が最晩年を送った徳島の地、日本に来る前の海軍士官であったマカオ、そして最後に彼の生誕の地リスボンを尋ねるもので、訪問する順番は彼の終焉の地から始まって、青年期のマカオ、そして彼の生まれ育ったリスボン、と逆順のコースを辿ることになった。


今から思えば3年前の夏、丁度阿波踊りの始まる1週間程前、徳島を訪れ、彼の今はなき終の棲家の路地を歩き、その足で眉山の山裾にある彼と彼の妻およねさんの墓所にお参りし、およねさんとのなれそめの場所、和田の屋にて目の前の涼し気な小滝を眺めながら焼餅を食べ、100数十年程前のその頃の徳島と二人の恋情を思ったが、これが最初のモラエスを訪ねる旅の始まりとなった。この時は彼が徳島に移り住む以前にポルトガル国領事として活躍した神戸にも足を延ばし、神戸居留地、布引の滝界隈も歩いたが、その時の旅行は『「サウダーデ」モラエスが住んだ町』として52頁の旅行記に纏めた。
https://blogs.yahoo.co.jp/ciao3776/folder/551602.html?m=l


それから次に2年前の10月、彼がポルトガル海軍士官でマカオ港副司令官として数年を過ごしたマカオを訪ねることになり、そここにポルトガルの雰囲気を残すマカオの街並みを歩き、副司令官として勤務したモンテの城塞跡に登り、丘の上からマカオを俯瞰し、更にその城塞近くにある正面のファサードのみを残した大聖堂跡に立ち寄り、偶然にもフランシスコ・ザビエルのお墓を見ることもできた。彼がいた130年前、カトリック教国ポルトガルの有力な海外植民地マカオの大聖堂は、今見る廃墟のごときものではなく、長い石段の上に燦然と輝いていたであろう。

この時の旅行はその後メインランド中国へ足を延ばし、隣接する珠海、広州、広州ではかの蒋介石がトップで卒業した黄浦軍官学校を訪ね、最後に香港ではRepulse Bayの海浜を訪問することもできた。海軍士官たるモラエスが直接にも間接にも関係した故地である。この時の旅行記は合計138頁で、「モラエスの故地を訪ねて」と題して、このブログに掲載した。
https://blogs.yahoo.co.jp/ciao3776/folder/568114.html?m=l


それから最後がこの「イベリア周遊の旅」である。旅行期間も長く、訪問先も多かった為、206回も頁を重ねることになったが、最後のこの旅行記はモラエス個人を尋ねるというよりか、広くイベリア半島に住むポルトガル人、スペイン人の生態、その風土を見ることに主眼が置かれたきらいがあった。


いずれにしても殆どの日本人、ポルトガル人が名前すら知らないヴェンセスラオ・モラエスと言う人物を40数年前新田次郎毎日新聞連載小説で紹介し、68歳という道半ばで斃れ連載は絶筆となったものだが、その後20数年経って子息の藤原正彦が父の遺作を引き継いで完結させ、その上下巻をたまたま目にした自分が40数年前の新聞連載を思い起こし、新田ー藤原、父子の思いを肌で実感すべき、この3回の旅行を思い立った。

新田さんには剛力伝、孤高の人、等々優れた山岳小説があり、自分自身も後年日本百名山踏破の際には、これ等の小説を好んで読んだものだが、それは後からのことで、新田さんを最初に知ったのは、この毎日新聞連載の「孤愁・サウダーデ」であった。
子息の藤原さんは東大数学科を卒業した優れた数学者であり、永らくお茶の水女子大学の教授を務めていたが、10数年前に出版された「国家の品格」はベストセラーにもなり、優れた随筆家でもある。父子鷹ではないが、この親にしてこの子あり、父子の風貌は良く似ているが、それ以上に二人の性格は将に日本人の品格を備えていると思われる。最近出版された五木寛之との対談集「インテリジェンスの原点」を読み、この父親にしてこの息子あり、の感を強くした。


自分は単なる旅行者で、誰かの追っかけでもないのだが、モラエスを基軸にこの3回の旅行をし、更に又この3部作の旅行記を終了することにより、何か一つの仕事を終わった、これから老後を迎える自分にとって、良い旅の思い出ができた、と思うこの頃である。

                              完


モラエスが海軍士官として船出したリスボン港。
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サンジョルジェの王城跡から眺めるリスボン湾。
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7つの丘からなるリスボン市内の眺め。
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モラエスの生家前にて。
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モラエスここに生まれし、とのプレート。
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