ちゃおチャオブログ

日々の連続

イベリア周遊の旅(63)モラエスの生家を尋ねて。

リスボン中央広場(レスタウラドーレス広場)には観光案内センターもある。
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この広場のホテルとは反対側の坂道を登って行く。
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通りに面してスポーツショップ、アシックスの店もある。
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もう一つ先の丘の上には要塞も見える。
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狭い通りを登って行くと、大きな病院の正門へ出た。
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病院の前には大きな木が茂っている。通行人に聞いても、モラエスの生家を知る人は誰もいなかった。
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ポルトガルリスボンへやってきた目的はモラエスの生家を尋ねることだった。彼は海軍士官で、マダガスカル~ゴア~マカオ~神戸に赴任し、神戸で海軍軍人からポルトガル国総領事に成って以降、終の棲家を徳島に定めるまでの間、母国ポルトガルを出て以来、一度も帰国していなかった。その間、生国リスボンとは実家に住む妹との手紙のやり取りで終始していた。

明治半ばから大正昭和と日本に住み続け、昭和の初めに73歳で亡くなったが、その間、スエズ運河経由での欧州航路は活況で、多くの邦人外人がマルセイユ~神戸・横浜を往来していた。彼がどんな理由で母国へ一度たりと帰ろうとしなかったのか、自分には分からない。しかし一昨年徳島・神戸を旅行し、去年はマカオを訪問し、その延長として、今回母国を訪問し、彼の生家を尋ねてみたいと思った。

地図で見ると彼の生家は比較的街の中心部に近い場所にあり、これからゆっくり歩いて行っても、夕方までには行きつけそうな距離と思えた。坂の上にあるホテルから40-50m程の高度差の坂を下って、独立記念碑のある中央広場(レスタウラドーレス広場)に降り、この広場の丁度反対側の坂の上辺りに位置している。広場を横切って、細い路地のような坂道を上がって行く。かなり坂を上がった筈だが、中々行きつかない。そうこうする内に正面に大きな病院が出てきて、道路はその病院で行き止まりとなった。

ハタと困って通行人に尋ねるが、この街の人で、モラエスと聞いても知っている人などいない。一部の日本人には知られていても、この国では殆ど無名に近い人だ。それに今からもう100年も前の人だ。病院はサンタマリア病院というらしく、モラエスの生家はこの病院の裏手の方に当たるようだが、行き順が分からない。見ると病院正門の前に1軒カフェがあって、ここで一休みして、店の人に聞いたら分かるかも知れない。

メニューを見るとナタがある。ナタはポルトガル名物の甘いお菓子。タルトのようなものだ。一度は食べてみたいと思っていたが、丁度良い。ここで休憩を取って、ナタを食べよう。意外なことに店のマスターは空手を習っていて、日本びいき。話が弾んでしまって、思いがけず長居することになった。



病院の前に1軒カフェがあり、中で休むことにした。
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ポルトガル名物ナタがあったので、注文する。
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甘くて美味しい卵菓子。タルトだ。
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店のマスターは空手を習っていて、日本びいきだ。
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話が弾み、モラエスの生家も詳しく教えてもらえる。
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申し訳にワインを1杯追加する。
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