ちゃおチャオブログ

日々の連続

「サウダーデ」モラエスの愛した町(21)滝の薬師「聖観音堂」周辺で。

庚午事変の碑。これは明治の初め頃の淡路島独立運動の事件で、結果、淡路島は、それまでの徳島県から兵庫県に組み入れられることになった。
イメージ 1



白糸の滝の直ぐ横には「滝不動」、即ち不動明王を祀る祠もある。
イメージ 2



滝から中腹の聖観音堂へは、この参道を歩いて10分も掛からない。
イメージ 3



井上高格という人の顕彰碑もある。最初の徳島市長とのことだ。
イメージ 4



参道の途中にはいろいろな仏跡、祠などもある。
イメージ 5




か細い感じの「白糸の滝」の横には、立派な参道が高見に向かって作られている。この参道の先には聖観音堂があり、嘗ては三重の塔もあったが、和田乃屋のお上の話によれば、それは既に戦前火災によって無くなっているとのこと。モラエスが何回となく訪れ、眺めた三重の塔は今は写真で見るしかない。これから向かう聖観音堂は、その三重塔が消失した後に、代わりとして建てられたとのことであった。

ここ「滝薬師」がある場所は大滝山と呼ばれていて、名前とは一致しない小滝と三重塔、それに八坂神社、春日神社、明治になってからの神武天皇像、と史跡に富んだ場所であり、嘗てはこの辺り、桜の名所として賑わっていたようだが、今はこの緑濃い参道にも涼を求めてやってくる人影も少なく、和田乃屋では偶々後から数人のおばちゃま連が入って来たが、参道を歩いていても行き交う人もいない。聞こえるのは激しく鳴き止まぬ蝉の声だけである。

参道の途中には、神仏の祠やこの町の嘗ての偉人を祀った像、庚午事変の碑と言ったものもある。「庚午事変」とは聞いたことの無い事件であるが、碑文を見ると、これは明治の始め、当時はまだ徳島藩の一部の淡路島洲本城下であった徳島藩からの独立運動の騒乱で、多くに犠牲者が出たが、その結果、明治新政府は淡路島を徳島から切り離し、兵庫県に組み入れたものであった。

白糸の滝から凡そ10分程歩くと、中腹の省観音堂へ着く。三間四方の御堂はどこにもあるようなもので、嘗て剣山の麓の大豊町の山中に国宝の観音堂を訪ねたことがあったが、ここと同じような構造だった。この大滝の省観音堂が大豊の観音堂を真似たのかも知れないが・・。

省観音にお参りし、更に上に登って行くと、山を平にした公園風の敷地があり、その真ん中に背の低い石碑があり、「温故知新」と刻されていた。これが何を意図するのは分からないが、多分、嘗てこの場所に三重塔が建っていたに違いない。回りを山の樹林に囲まれ、もしも今もここに建っていたとすれば、さぞ静かな幽谷な趣であったに違いない。


     < 幻の 三重塔見ゆ 蝉時雨 >



何か読めないが、古めかしい石碑も建っている。
イメージ 6



石碑なども見ながらゆっくり歩いて、凡そ10分程で聖観音堂へ着く。
イメージ 7



聖観音堂の奥には更に史跡があるようだ。
イメージ 8



山の中の小さな公園のようになっている。
イメージ 9



「温故知新」。ああ、ここに嘗て三重塔が立っていたのか・・。
イメージ 10



消失する以前の三重の塔。和田乃屋の店に架かっていた。森に囲まれ、奥床しい。
イメージ 11