ちゃおチャオブログ

日々の連続

「サウダーデ」モラエスの愛した町(14)眉山山頂からの眺め。

剣神社の横からも徳島の街並みが見下ろせる。
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大河・吉野も目の下だ。
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これは南方、紀伊水道の方角だ。
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ケーブル山頂駅に向かって歩くと、途中に天皇記念碑が建っている。
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天皇陛下の何を祀った石碑だろう・・。先刻の石葺きの参道と関係あるのか・・
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ああ、前方にモラエス館とロープウエイ山頂駅が見えて来た。
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眉山山頂にある剣神社が創建されたのは、大正の初め頃だから、モラエスはまだ存命で、麓の徳島に住んでいた。後妻の小春は病弱で、丁度その直後に25歳で亡くなった。その後10数年、モラエスは独り身でこの町に住み続けたが、その間、この眉山に登って来たかどうかは分からない。明治大正時代、普通の町民は山へ登るようなことはしなかった。山に分け入るのはマタギか山の民くらいで、普通の人に取って山は縁遠いものだった。だから、モラエスもこの眉山に登り、新たに創建された剣神社にお参りしたとは思えない。従って、この山頂からの眺めも知らなかったに違いない。

眉山山頂は市内から見ても分かるように、眉毛のように横に細長い山頂で、どこか1か所がツンと尖って峯を形成している一般的な山ではない。山頂部分はほぼ水平状態になっていて、その横幅は500-600mはある。そんな中でもメインの場所はロープウエイ山頂駅とそれに隣接するモラエス館で、この眉山にロープウエイなり車でやって来る人は、山頂駅横の展望台から眼下の徳島を眺め、人によっては或いはモラエス館に立ち寄り、それで下山するのが大半だ。山頂の、こんな奥まった端の方の場所に、このような神社がある事など、普通の観光客は分からないだろう。当方も過去2回山頂に来たが、この神社の存在を知らなかったのは、当然だったかも知れない。

標高277mからの眺め。市内はほぼ海抜数mの平地だから、ほぼ300mの高度差が楽しめる。東京タワーの展望台100mの3倍、新東京タワースカイツリーの第一展望台、340mにほぼ匹敵する位の高さだ。眼下に徳島の街並み、昔は阿波の国と言われた一国全体が、そして右手南方には小松島の島並とその先の紀伊水道、左手眼下には大河・吉野がゆっくりと蛇行している。モラエスはここまで登らなかったとしても、阿波の殿様、蜂須賀公は来たに違いない。吉野に育まれた阿波一国の殿様として、大いなる満足を味わったことだろう。


      < 目の下に 大河横たふ 阿波の夏 >



山頂駅横の展望台から徳島市内を見渡す。

<目の下に 大河横たふ 阿波の夏>
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街中を流れる新町川も良く見える。
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ああ、10年振りのこの景色。ケーブルも昔のままだ。
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ああ、城山も見える。午後時間があれば、このお城にも行って見よう。
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この徳島の街並み、光景は10年前と変わらない・・。
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