そごうデパート内のモラエスこーなー。昨日の夕方来たら、閉店されていた。
モラエスさん、75歳でこの徳島の地、伊賀町の長屋で亡くなったが、彼の本望通りの生涯だった。
「ワタクシハ モシモ シニマシタラ ワタクシノカラダヲ トクシマデ ヤイテクダサレ トクシマ 大正ニネン七月二十九日 モラエス」
「ワタクシハ モシモ シニマシタラ ワタクシノカラダヲ トクシマデ ヤイテクダサレ トクシマ 大正ニネン七月二十九日 モラエス」
ボランテア案内人が、嬉しそうに説明してくれた。
朝7時過ぎにホテルを出て、阿波踊り会館横の天神社の境内から登りはじめ、雑木林を直登して約2時間、10年振りに眉山山頂に立った。山頂からの眺めは10年前と変わらず、眼下に徳島の町、その先の海が見渡せた。帰りは車道の途中から万年山の蜂須賀家墓所を経由して下山。佐古の町を歩き諏訪神社から大吉野を眺め、眉山山裾を回って、滝薬師、和田乃屋にて名物「滝の焼き餅」を食べ、聖観音堂経由神武天皇像に礼拝し、今漸く最初の阿波踊り会館前に戻って来た。8月1日、葉月朔日の午前、気持ち良い山歩きと歴史探訪をすることが出来た。半日かけて、ぐるっと眉山を一周した事になる。今日の半日、良い経験と思い出の旅になった。
さて午後の半日、駅の反対側にある城山、即ち徳島城址へ行くことにしよう。徳島へは過去3回来ているが、まだ一度も行ってなかった。駅の反対側と言う不便な場所にあるし、観光案内にもそれ程強くは推薦されていなかった。と言うよりか、徳島には八十八寺始め、この城跡を見なくても、見るべき所は他に沢山ある。それに今は城郭もない。
大通りを駅に向かって歩く。新町橋を渡って駅に近づくが適当なレストランはない。矢張り駅前まで行かないとない無理か。そごうデパートの前を通り過ぎた時に、昨日の事をハタと思い出した。昨夕は来た時間が遅く、デパートはまだ開いていたものの、1階にあるモラエスコーナーは既に終了していて中に入れなかった。小さなコーナーだから、10分もあれば、見終えるだろう。昼飯前に立ち寄ってみるか。
コーナーには初老の老人が一人留守番のような案内人のような形でストールに座っている。当方が中に入って行くと、今まで暇だったのか、人待ち顔にいろいろと話しかけてくる。元、高校の先生か、大学の教授か、いずれにしてもモラエスを深く研究していた人に違いない。今年3月、眉山山頂のモラエス館が閉館となり、そこに展示してあった記念品、遺品類は、ここそごうデパート内と徳島大学資料室に分散して移管されたとのことであった。人の好さそうな、如何にも自分からボランテアを買って出て、人々にモラエスを知らしめているようだ。地元徳島、こうした研究者と言うか、好事家がいるのは当然だ。
その案内人と話し込むと、どれ程時間があっても足りなくなりそうで、コーナーの展示物をざっと眺め、部屋を出ることにした。いろいろと彼の書いた著作物や遺品、生活雑貨などが展示してあったが、一つだけ異質な油絵が架かっていて、それはポルトガル北部、ポルト近郊の町で、永らくポルトガルに住んでいた日本人画家が描いたとのことだった。・・ポルトガル・・、マカオに続き、一度は行ってみたい場所だ。いや、以前一度行っているから、今度行くときは、モラエスの足跡と、この絵の中の町を訪ねよう。
< 暑き夜 故国遥かに 一人酒 >
さて午後の半日、駅の反対側にある城山、即ち徳島城址へ行くことにしよう。徳島へは過去3回来ているが、まだ一度も行ってなかった。駅の反対側と言う不便な場所にあるし、観光案内にもそれ程強くは推薦されていなかった。と言うよりか、徳島には八十八寺始め、この城跡を見なくても、見るべき所は他に沢山ある。それに今は城郭もない。
大通りを駅に向かって歩く。新町橋を渡って駅に近づくが適当なレストランはない。矢張り駅前まで行かないとない無理か。そごうデパートの前を通り過ぎた時に、昨日の事をハタと思い出した。昨夕は来た時間が遅く、デパートはまだ開いていたものの、1階にあるモラエスコーナーは既に終了していて中に入れなかった。小さなコーナーだから、10分もあれば、見終えるだろう。昼飯前に立ち寄ってみるか。
コーナーには初老の老人が一人留守番のような案内人のような形でストールに座っている。当方が中に入って行くと、今まで暇だったのか、人待ち顔にいろいろと話しかけてくる。元、高校の先生か、大学の教授か、いずれにしてもモラエスを深く研究していた人に違いない。今年3月、眉山山頂のモラエス館が閉館となり、そこに展示してあった記念品、遺品類は、ここそごうデパート内と徳島大学資料室に分散して移管されたとのことであった。人の好さそうな、如何にも自分からボランテアを買って出て、人々にモラエスを知らしめているようだ。地元徳島、こうした研究者と言うか、好事家がいるのは当然だ。
その案内人と話し込むと、どれ程時間があっても足りなくなりそうで、コーナーの展示物をざっと眺め、部屋を出ることにした。いろいろと彼の書いた著作物や遺品、生活雑貨などが展示してあったが、一つだけ異質な油絵が架かっていて、それはポルトガル北部、ポルト近郊の町で、永らくポルトガルに住んでいた日本人画家が描いたとのことだった。・・ポルトガル・・、マカオに続き、一度は行ってみたい場所だ。いや、以前一度行っているから、今度行くときは、モラエスの足跡と、この絵の中の町を訪ねよう。
< 暑き夜 故国遥かに 一人酒 >
嘗て、日本の一地方にも、このような異人さんが住んでいたのだ。
ああ、日常生活に使用された遺品などもある。
毎年半田のうどんを取っているが、半田ウドン同様に腰が強い。