ちゃおチャオブログ

日々の連続

4.21.(木・晴れ)熊本続報。熊本城と健軍。タイ語。

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連日テレビでは熊本の続報。震度1以上の地震が600回以上、震度3以上の強震も毎日数百回も発生していて、テレビ画面には、その都度警報と速報のテロップが流れる。
8chの小倉さんの得ダネ、3年前にみのもんたが6chの朝ズバを降りてからは、小倉さんの朝番組を見ているが、熊本城の石垣が崩れ、櫓まで崩壊している映像が流れるが、小倉さん自身はこの城も見ていないし、菊川さん他番組のスタッフ誰も実物を見たことはないという。小倉さんなど全国津々浦々まで足を運んでいると思っていたが、熊本は案外エアーポケットだったのか。
当方、熊本には何回か行っていて、いつかはこの城の直ぐ前にあるキャッスルホテルに服先生と同宿し、ホテルの窓から城の石垣を見たり、1階フロントには黒沢明監督が何かの映画に使用したこの城をモチーフにした大きなコンテ画が掛けられていてその迫力に圧倒されたが、今、このホテルは大丈夫だろうか・・。
それから五日の夏の夜、城の直ぐ横の斜面にある料亭城見亭で平さんと飲食を共にしたが、直ぐ横にライトアップされて黒光りする天守閣が印象的だったが、テレビで見る限り、今は無残な姿になっている。

この城の美しさは天守閣はもとより、その石垣にあり、佐々成政の後を継いだ加藤清正が安納衆を引き連れての築城は見事なもので、熊本訪問の際は、何回となくこの城を訪れた。坪井川を渡り、場内に入ると直ぐにも垂直に反り返った武者返りに圧倒され、正にこれぞ日本の名城と思っていた。
美しく且つ堅固な城であったが、加藤亡き後を継いだ細川時代、太平天国の平和な時代が続き、この城が戦乱に巻き込まれたとの記憶はないが、明治の初めの西南戦争時、西郷隆盛軍がこの城を攻めたが、守るは中将谷千城、難攻不落のこの城は西郷軍を寄せ付けず、撃退し、ついには西郷を鹿児島に追いやった。

同時に今回の震災では自衛隊が数多く派遣され、各地で活躍している。熊本こそ軍都。地震の2日目、早くも市電が復旧したが、その市電の終点が健軍で、名前の由来はここにある健軍神社にある。大昔、まだ肥後の国が熊襲と言われていた時代、日本武尊により征伐されて以来の由緒ある神社だ。
戦前はここに広大な陸軍基地があり、戦後はそれを引き継ぐ形で自衛隊の師団司令部が置かれた。益城町その他への多くの自衛隊員はこの基地からも派遣されているだろう。

今回の被害では報じられていないが、宮本武蔵が3年間籠って「五輪書」を書いた金峰山霊厳洞もある。あの洞の前にあった五百羅漢の石仏は大丈夫だったろうか・・
毎日放映される熊本の映像を見る度にこれ等のことが思い出される。

夜はタイ語。今日は「サムラップ」、「・・用」を覚える。サムラップとタムラップ、似て非なる言葉。


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