ちゃおチャオブログ

日々の連続

成都の3日間(32)成都のチベット人街から錦里へ。

これからチベット人街に向かう。正面の建物などいかにもチベット風だ。
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ああ、チベット語で書かれた建物がある。
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何うーん、ここは「西蔵自治区人民政府・駐成都弁(辯)事処とある。チベット自治区の領事館のようなものか。
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チベット人街は仏教関係の店が多い。チベット僧も見える。
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いやー、チベット密教曼荼羅だ。
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チベットという国は今は存在しない。今から半世紀程前、中国、毛沢東政権は朝鮮戦争のドサクサに紛れてこの国を侵略し、併呑してしまった。紀元前からの2000年の歴史を有する西蔵国はこの時に消滅してしまった。嘗ては唐の玄宗皇帝の前で、諸国外交使節団の中で、日本の遣唐使と上位の席次を争ったこの国は今は無い。今は中国のチベット自治区となっている。勿論外交権は有しない。

この時、ダライラマを始めとするチベット宗教界政界の一部は国を逃れ、インドに亡命政府を樹立し、今も活発に活動している。中国の力が強大で、この亡命政府と外交を結ぶ国はまだ表れていないが、ダライラマは各国を遊説し、国連総会の場でも独立を訴えている。共産中国になって、中国は民族の独立、植民地主義の撤廃を訴え、主にアフリカ大陸に於いて民族主義の伸張、深更を旗印に勢力を伸ばしてきたが、肝心の自国内ではこの有様である。少数民族を弾圧し、言っている事とやっている事が180度違っている。今連日マスコミでやり玉に挙がっている舛添都知事と全く同じ構図だ。人も国も権力の座に着くと、こうした真逆の行動を取るものか・・。

以前インドのブッダガヤを旅行した時、チベット寺とかチベット人集落を垣間見たが、それは「亡命」というには余りにも規模の小さいもので、単にチベット人の集まりでしかなかったが、ここ成都チベット人町はどんなだろう。武候祠の前には大きな通りがあるが、信号を渡った先がチベット街だ。前以てガイドブック等で調べて来ていたツアーのメンバー佐々木さんの案内で、横断歩道を渡って向かって行く。

通りはかなり賑やかで、チベット文字が氾濫し、ここは中国ではなく、チベットのどこかの町の一角を思わせた。宗教関係の店が多く、チベット仏教密教関連の商品が多い。チベット系の人々はここへやってきて、仏像、仏具などを買い求めて行くのだろう。車道には数台のトヨタ4WDが停車していて、助手席の横には、成都ー拉薩、往復の文字が見える。今は青海からラサまで列車が通じているが、鉄道が無かったころは、ここから4WDに乗ってラサまで行っていたのだろう。大変な距離であるに違いない。・・今度機会があれば、ここからトヨタハイエースに乗ってチベットまで行ってみよう。



ツアーのメンバーも何か買うつもりなのか・・
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さてチベット街から戻って、残り10分、錦里を駆け足で歩く。
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ああ、ここは又昨日の寛窄巷子と同じような賑やかな通りだ。
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武候祠を見終えた観光客が大勢集まってきている。
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人ごみの中、人を掻き分けて先に進む。
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