静岡県警刑事部長が自殺したり、神奈川県警巡査がスカート内盗撮したり、埼玉県警警察官が痴漢行為を働いたり、自衛隊員が現金強盗を働いたり、学校の先生が淫行をしたり、教育委員である五体不満足が多数女性と淫らな関係を結んだり、と、世の中、嘗ては晴天の霹靂のような事件も最近ではそう珍しいことではなく、「またやったか」程度の、日常茶飯事とは言わないまでも、ややありふれた事件になりつつある。
人間の性癖、自分でコントロールしようと思っても、思い通りには行かず、羽目を外して世間の耳眼を集める。性格が弱かったと言ってしまえばそれまでだが、特にこのような職業人の場合、強い葛藤はあっただろう。だが、結局自己の欲望に勝つことはできず、欲望を抑えることはできず、欲望のままに行動した結果が、この様な破廉恥事件となってしまった。
彼等は二重人格者とは言わない。隠れた性癖が隠しきれずに表に現れただけのことで、性格の破綻はない。昼間の顔と夜の顔、コインの裏表の違いだけであって、人格の同一性は保たれている。採用時に、採用する側が、そうしたコインの裏側に気が付かずに採用しただけの話だ。全国26万人からの警察官の中にはそうした性癖を持っている警察官も何%かはいるだろう。
さて、今回のベトナム人児童殺害容疑者の渋谷某、47歳。新聞報道によれば、同じ年頃の女児二人の父親で、同じ小学校に通い、自ら進んで保護者会会長を引き受け、毎朝、通学路の見守りをしていたとのことである。
事件発生直後も同様に見守りをして、マスコミ、記者等の質問にも傷心の気持ちで答えている。又、本人が率先して募金活動も行い、家族のベトナムへの帰国費用の足しにしている。どこから見ても善意の保護者会長で、誰しもよもやこの人が殺人容疑者になるなどとのことは想像外であっただろう。だが、現実は、容疑者として逮捕された。新聞報道上は、概ね、彼が犯人である。
どうしてこのようなことになったのか。彼が犯人とすれば、彼は明らかに二重人格者だからだ。普段表に出している善意の顔と、ある時、突然に人格が変わり、或いは代わり、鬼畜のような心になる。自分の娘と同じ年頃の児童を殺害することに一片の呵責もない。躊躇することはない。全く別人格が本人を支配し、動かされる。盗撮とか痴漢とかとは全く別の次元の、人格転換なのだ。
この二重人格者に、他方の人格が入れ替わった際に、抗すべき能力があるかないか、残っているかどうかは、自分は精神学者ではないので分からない。
本件を病的精神病者の犯罪として断ずべきか、或いは元々有している一方の性格の本能的な行動だから、酌量の余地はないとするのか、自分は学者でもないし、裁判官でもないので、判断できない。
ただ言えるのは、ステーブン・キングとか、カーバー等等々、米国作家で、こうした狂気の犯罪を恰も現実に起こり得る出来事として小説上に表現し、こうした犯罪が人々の心の上で、身近になってきている、垣根が低くなっている、ということは言えないだろうか。20-30年前、漫画とかエロ黒、テレビ番組の悪影響が一般人の心に及ぼす害悪が声高に叫ばれていたが、最近は下火になっている。慣れてきている、慢性化、マンネリ化してきている、ということは言えない。
テレビ、教育が及ぼす影響は大である。文科省は兼て教科書の字句のこだわりに終始するのではなく、人間の心の根本問題、この渋谷某が二重人格者に至った経緯を詳細に分析し、研究し、間違った方向に向かわないよう、教育の整備をしていくべきではないのか。
今回の二重人格者の犯罪を見ていて、そう思った。
連日、年初来安値を更新する東証。漸く悪夢の1週間が終わる。悪夢は今日で終わらないかも知れない。来週も引き続きNigtmareが続かないことを願うだけだ。北の金さん、どうぞ静かにして下さい!