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日々の連続

イベリア周遊の旅(79)シントラ王城内の見学。

これからシントラ王城のメインの建物、ペーナ宮殿に向かう。
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宮殿の中の円形広場。こんな場所で楽劇、演劇などが催されたのだろうか・・。
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ここからの絶景を楽しむ。左前方に大西洋も見える。
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ここからロカ岬までは20キロ位だ。
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ムーア人の城跡が見えそうで見えない。
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このシントラ王宮は元より世界遺産の遺跡であり、デズニーのようなレジャー施設ではないので、そこにあるのは昔の建物だけで、入場者の目を惹くようなアトラクションやデズニーキャラクターのようなものはない。世界遺産登録ということで、建物の改修、補修、お色直しは行われているだろうが、基本的には昔の儘の建物構造だ。その主たる目的は要塞の機能で、世の中が安定し、キリスト教国の地盤が盤石になって来たと共に、ここに住む王侯貴族が、要塞としての目的から離れ、遊び心を生じさせてきたのだろう。

リスボンが紀元前の頃からローマの植民地で、今朝訪問したサンジョルジェの丘に既にローマ軍の城塞があったのは、今朝城内の博物館の遺品、骨董品等で知ることができたが、このシントラの丘がその頃の古い時代から開けていたかどうかは知らない。案内書等によれば、この要塞は当初、イスラム教徒、ムーア人により建設され、その後レコンギスタによりキリスト勢力がイスラム勢力をイベリア半島から追い払い、それと同時にこの城塞もポルトガル王のものとなった。だから、原形はムーア人によるイスラム風の建物構造で、その後、ポルトガル王により改造されたもの、二つの文化がミックスされたものである。

イベリア半島に残るイスラム文化の最良のものはグラダナにあるアルハンブラ宮殿で、そこはイスラム最後の王が、泣く泣くこの地を離れて行った記憶に残されるべ宮殿で、余りにも美しいシンメトリックな建物は、後から侵入してきたスペイン国王も、この宮殿に手を加える余地もなく、そのままイスラミックの美しさで現在に残されているが、ここシントラは、14世紀になって入城したジョアン国王が大きく増改築し、更にはこれから訪問するこの王城内でのメインスポット、ペーナ宮殿は、ドイツのノイシュバンシュタイン城を建造したルートヴィッヒ2世の従弟、フェルディナンド2世が19世紀になって建造したものであり、完成してからまだ100数十年しか経っていない。

バイエルンの峡谷に建つノイシュバンシュタインは白を基調とするが、ここペーナ宮は如何にも南国的なカラフルなお城だ。静かな白鳥を思わせるノイシュバンシュタインと、インコかオウムのように明るい色のペーナ宮。これも又ドイツ人建築家によるものだ。ここからは大西洋もロカ岬も見渡せる。この時は既に見張り台の機能は忘れられ、単に南の陽光を楽しむ宮殿として建築されたのだろう。



円形広場で、ロカ岬をバックに。
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建物内のドームは細密画のようで、イスラムの影響を受けてるようだ。
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一方で神聖ローマ皇帝の血を引くマクシミリアン。敬虔なカトリックのようだ。
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イスラムカトリックが共存しているようだ。
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イスラミックな部屋の中の磔刑キリスト像
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