ちゃおチャオブログ

日々の連続

イベリア周遊の旅(93)アルカサルの庭苑。

至宝の間のバルコニーからは目の下に整った庭苑が見渡せた。よし、下に降りてみよう。
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庭苑に降りてみる。
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イスラムには木の文化は無い筈だが・・。これは後からのものか・・
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裏の庭苑を歩く。噴水もある。
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庭苑自体も直線的な造りになっている。
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至宝の間は建物の2階にあって、その外には大きなバルコニーが作られている。そのバルコニーからは、直ぐ目の下に整然と植栽された幾何学的な様式の庭園が眺められる。幾何学模様はイスラムの専売特許のようなもので、起伏に乏しいアラビア半島の沙漠の中では、物事は紆余曲折もせずに、直線状に進んで行く。

オスマントルコ崩壊以降のアラビア半島の分割協議で、イランやイラク、サウディやヨルダン等の国境線が直線状に引かれているのは、旧宗主国の勢力争いがあったかも知れないが、元々はこうしたアラブ種族の直線思考にマッチしたもので、それはエジプトにしてもリビアにしても、その国境線はことごとくが電動のこぎりでスパっと切ったように真っ直ぐに分断されている。

このバルコニーから眺める庭苑も、長方形や正方形、楕円形をした池や噴水、花壇の集積となっている。せっかくここまで来たのだから、高い場所から眺めるだけでなく、1階へ降りて、庭園を歩いてみることにしよう。

元々は砂漠の国。アラビア半島で誕生したイスラム教は、瞬く間に砂漠地帯を席巻し、北はトルコから西は北アフリカの砂漠地帯の民族を感化させ、その勢いは海峡ジブラルタルを渡ってイベリア半島まで押し寄せ、一時はピレネーまで達する勢いだった。木と水のない砂漠の民。イベリアに上陸して初めて豊かな自然に触れることができ、王国の勢力拡大と共に財力も豊かになり、彼等の高根の花、水と樹木のある生活を手にすることができた。

この庭苑は一部の王侯貴族の社交の場、子供たちの遊びの場だったのだろう。一般庶民とは全く遊離した夢の世界。しかし年に何回かは庶民にも開放され、或いは招待され、ほとばしる噴水、水の流れ、オアシスに生える木よりも高く茂茂しい樹木と花壇。そうした砂漠の民にとっての天井世界を垣間見ることの喜びも与えたことだろう。

カトリックの王、ペドロ1世に引き継がれたこのアラビア風王宮と庭苑は、7世紀を経た今も尚、当時のままの状態が保存され、嘗ての上流階級、或いは庶民の尽きない喜びを今に伝えている。王宮、庭園をいれての賞時間程の散策は、自分にとっても良い思い出となった。



何の木か分からないが・・。オリーブか??
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噴水、水路も外国庭苑らしい。
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沙漠の民にとって、水のある風景は最上の贅沢だったに違いない。
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鯉も泳いでいる。日本のものか??
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園内に休憩コーナーがあり、ビールをのみながら庭を眺める。
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